犬の認知症とは
犬の認知症とは、その名のとおり、高齢になって認知機能が衰え、様々な症状が発生する症候群です。正確には、犬の認知機能不全症候群(CDS:Cognitive Dysfunction Syndrome)と呼びます。犬の認知症の発生機序はまだまだ不明な点が多くありますが、ヒトの認知症の発生と同じような病態で発生していると考えられています。
犬の認知症では、見当識障害、睡眠覚醒サイクルの変化など、DISHAAの6徴候と呼ばれる症状がが表れることが特徴的です。これらの症状は、病的な認知症だけで発生するものではなく、正常な老化においても生じます。正常な老化と認知症は地続きの関係にあります。
犬の認知症の予防
認知症は治らないけど、予防はできる
ヒトの認知症では、βアミロイドの沈着は、認知症が発症する約20年前から起こっていると言われます。認知症発症後に、薬物療法を実施しても、それは対症療法にしかなりません。認知症は進行性の病気であり、治療を行ったとしても、失われた神経細胞が再び増えるということはありません。そのため、認知症が発症し、認知機能が低下してから治療を行ううのでは、遅すぎます。
犬の認知症においても、その発祥機序はヒトの認知症と類似点が指摘されています。当然ヒトよりは急激な変化が起こるとはいえ、突然発症するものではなく、βアミロイドの沈着等の病理的変化が積み重なり、発症に至ります。
治療の現実的な対策として、ヒトと同様に犬においても、予防的なアプローチにより、脳の萎縮を予防し、認知機能を維持するという戦略が最も重要になります。認知機能低下を防ぐ有効な対策がとして、①神経細胞の働きを維持する有効成分を毎日摂取すること、②生活の中で脳に適度な刺激を与えてその機能を維持することの2つが挙げられます。
犬の認知症の診断
要求吠えが増えてきた、名前を呼んでも反応しなくなった、ぼーっとしている時間が長くなった、昼間寝ているのに夜寝なくなってきた、ぐるぐる回っていることが多い…。
高齢になって、このような症状がでてきたら、「認知症かな?」と思う方も多いはず。でも、高齢犬は、認知症以外の理由でも行動変化が起こりますし、認知症と認知症以外の症状が併存していることも多くあります。大切なことは、飼い主が「これは認知症に違いない」と決めつけてしまうのではなく、獣医師の診察を受けて、しっかりと診断をしてもらい、治療に臨んでいく事です。
犬の認知機能低下の初期症状
犬の認知症では、①見当識障害(家や庭で迷うなど)、②社会的交流の変化(人あるいは他の動物との関わり合いの変化/家族や同居動物への無関心など)、睡眠覚醒サイクルの変化(昼夜逆転し夜中に起きてしまうなど)、家庭でのしつけ(トイレのしつけや以前に覚えた学習を忘れる)、⑤活動性の変化あるいは不活化、⑥不安感の増大という6つの徴候(DISHAAの6徴候)が認められます。認知症は、生理的な老化と完全に区別することは難しく、生理的な老化であっても、加齢に伴って上記の認知機能の低下が起こってくることがあります。
犬の認知機能の低下に関しては様々な研究が行われています。各報告を比較すると、認知機能低下の程度にはばらつきがあるものの、年齢と共に認知機能が低下していくという傾向は一致しています。ある研究では、高齢犬の飼い主に対して、愛犬の、見当識障害、社会的交流、家庭でのしつけ、睡眠覚醒サイクルの4つの行動カテゴリーについて行動の変化があるかインタビューが行われました。その結果、11~12 歳の犬では、 28% (22/80)で1つ以上のカテゴリーの行動障害が認められ、10%(8/80)は2つ以上の行動カテゴリーで行動障害が認められました。また、15~16歳の犬では、68%(23/34)で1つ以上のカテゴリーで行動障害があり、35%(12/34)は 2 つ以上のカテゴリーで行動障害が認められました。
私自身の臨床の経験では、認知症に関連する相談は、13歳~15歳くらいの時期の初診が多い印象です。12歳未満で認知機能の低下を疑う症例の相談は少なく、仮に認知機能の低下があったとしても身体的な疾患が原因となっており、認知症と診断することはほとんどありません。DISHAAの6徴候のうち複数の徴候が表れ、認知機能の低下が顕著になるのは、14~15歳頃の印象です。
認知機能の低下は犬種や個体によっても差があり、一概にくくることは出来ませんが、おおよそ10歳を過ぎたら、DISHAAの6徴候が表れてこないかどうか、日常的な行動の変化に注目しておくと、初期症状を見逃すことなく、早い段階で対応してあげられるのではないかと思います。
犬の認知症の診断
犬の認知症の診断は、①身体的疾患が関与していないか、②他の行動学的問題との鑑別、③犬の認知症に特徴的なDISHAAの6徴候の確認と行動の程度の評価の3つの要素から成り立ちます。
①身体疾患との鑑別
高齢犬であれば何かしらの身体疾患を生じている可能性は高く、そのことにより問題となる行動が生じていることはまず念頭に置いておかなければなりません。ある研究では、犬の認知症に関連する徴候があり動物病院を受診した300頭のうち、85頭が基礎的な医学的問題があったことが報告されています。
痛みや不快感によって寝られないことで昼夜逆転のような症状が出る、関節が痛くてトイレまでたどり着けず不適切な排泄をしてしまう、といった症状は分かりやすいでしょう。この他、高齢犬でよくある身体的疾患に関連する行動変化としては、脳腫瘍によって見当識障害が生じる、肝性脳症で回転行動が生じる、腎疾患や心疾患の悪化で活動性が下がる、甲状腺機能低下症により活動性や性格が変化する等、無数に挙げられます。
本当に認知症かどうかを診断する為には、身体的な問題を精査することは必要不可欠です。また認知症であっても、身体的疾患が併存していることもありますし、年齢的に様々な不具合が出てくる時期ですから、積極的に身体的な問題について検査し、それぞれの問題に対しての治療を行っていくことで、犬のQOLを向上させることも出来ます。
疑われる疾患の種類によっては、全身麻酔をかけてMRI検査を行わなければならない場合もあります。高齢犬となれば、当然麻酔リスクもあるわけで、こうした場合については、年齢や全身状態を勘案して、獣医師とよく相談した上で、検査の実施の有無を判断していきましょう。
②行動学的問題との鑑別
高齢犬に行動上の問題が起こった場合、認知症がその原因となっていることは多いわけですが、認知症以外の行動学的問題によって、問題行動が起こっている可能性も考慮しなければなりません。
ジャックラッセルテリアの男の子が、15歳になって、飼い主さんが外出する際に急に吠えるようになったという相談がありました。飼い主さんは「認知症ではないか?」とおっしゃられていましたが、よくよく話を聴いてみると、2か月ほど前に引っ越しがあり、その数週間後から吠えが強くなったとのことでした。また、吠えるのは飼い主さんが外出するときだけで、飼い主さんの在宅時や夜間に吠えることはなく、その他、室内を無目的に動き続ける、昼夜逆転、トイレのしつけを忘れるといった犬の認知症に特徴的な症状も見られませんでした。これらの情報から、この症例は認知症ではなく、環境の変化から、特に飼い主さんの不在時に不安を感じて吠えるようになったと考えられたため、分離不安と診断しました。
夜間の吠えについても、よく相談を受けます。これもよくよく話を聴いてみると、何かのきっかけで夜吠えた際になかなか泣き止まなかったため、散歩に連れ出して落ち着かせたという経緯があり、それ以来、夜吠えると外に連れ出すようになったという話をしばしば聞きます。つまり犬は、夜に吠えれば外に連れ出してもらえると気づいたわけですね。こうした吠えの問題は、日中に十分に活動ができていない犬や、日中外に行くことを怖がる犬(犬が夜の方が安心して散歩できると感じるため)で起こりやすい傾向にあります。また、高齢犬よりも活動欲求の高い若い犬で起こりやすいのですが、高齢犬でも起こらないわけではありません。当然、認知症の他の症状が見られず、このような、「外に出る要求」という明確な目的のある夜間の吠えだけであれば、認知症と診断することはありません。
犬の認知症でも吠えは発生しますが、吠えの発生状況を精査することで、認知症によって発生している吠えなのか、その他の行動の問題で発生している吠えなのか判別することができます。
ただし、高齢犬のすべての問題行動について、認知症による行動問題と、その他の行動学的問題を、0か100かで分蹴られるわけではありません。ミックスタイプも存在するということです。例えば、要求吠えについては、認知機能の低下や身体機能の低下により増えることもあります。わかりやすいのは排泄の要求吠えですね。身体機能の低下により、排尿の頻度が高くなると、外で排泄する犬の場合、外に出してほしいという意図を伝えるために吠える頻度が高くなります。飼い主が、ある程度定期的に排泄の機会を作っている場合、犬に認知機能に衰えがなければ、「もう少しで排泄の時間になるから、今は吠えずに待って居よう」という判断ができます。しかし、認知機能が低下していると「もうすぐ排泄の時間がある」ということの認識や、「もう少し待っていよう」という考えが及ばなくなり、今感じている尿意に反応して、外に出たいという要求を伝えるために吠えるという選択をとるようになります。このような行動は、飼い主に排泄したいという意図を伝えるという機能がはっきりとした行動であり、問題行動ととらえるべき行動ではないでしょうし、当然、認知症と診断することはできませんが、認知機能の低下が行動を変化させている要因になっているという側面はあります。
高齢犬に発生する行動変化が、認知症によるものか、そうでないのか、あるいはグレーゾーンなのかについては、各家庭で判断することは難しい場合も多いです。認知症による行動変化と、その他の行動学的問題による行動変化、あるいは、身体的な問題による行動変化では、治療法が全く異なります。この違いをはっきりさせて対応を行うことが肝要です。そのためには、飼い主さん自身で判断してしまうのではなく、行動診療科で相談して、専門家の意見を仰ぐようにすることが大切です。
③犬の認知機能の評価
身体的な問題や、他の行動学的問題をチェックし、それらが主たる原因として問題行動が発生しておらず、且つ、認知症のDISHAAの6徴候に関わる問題が見られる場合、犬の認知症が強く疑われます。認知症として診断するか否かの判断方法として、その時点での犬の認知機能の状態を評価するという方法があります。
犬の認知機能の評価としては、質問票による評価が行われています。犬の認知機能を評価する質問票はいくつか開発されており、犬の認知症の診断に活用されています。
代表的なものとしては、Salvinらの犬の認知機能不全評価票(CCDR:canine cognitive dysfunction rating scale)が挙げられます。これは13項目の質問に対し、5段階評価を行い、各項目0~4点、合計0~46点で、認知機能の状態を点数で評価する事が出来ます。合計得点が16点以上で認知機能不全の疑いとなります。表を掲載しましたので、試してみてください。
Salvinらの犬の認知機能不全評価票は、大規模な調査結果を元に作られており、診断精度が高いのが特徴です。ただし、DISHAAの6徴候に則っているわけではなく、睡眠や不安に関連する質問項目は含まれいません。
【参考文献】https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1090023310001644
【参考文献】犬と猫の高齢性認知機能不全 , 小澤 真希子 , 動物臨床医学 29(3)101-107 , 2020
フードメーカーのピュリナも独自の認知機能評価シートを作成しており、セルフチェックできるサイトを公開しています。ピュリナの認知機能評価シートは、DISHAAの各6徴候それぞれについて2~5項目、合計18項目の行動について、4段階の評価を行い、点数化します。合計0~48点で、4-15点が軽度、16‐33点が中等度、34点以上が重度と評価されます。
【参考URL】
https://www.purinainstitute.com/sites/default/files/2021-04/DISHAA-Assessment-Tool.pdf
【参考URL】
https://nestle.jp/brand/purina/proplanveterinarydiets/product/dog/nc-neurocare/DISHAA
これらの評価ツールは診断時にも有用ですが、治療によって症状がどの程度改善しているかについても数値化できるため、治療の評価にも有用です。
評価ツールは、犬に一切の負担をかけることなく、簡単に実施できる検査の一つです。手軽に始められますので、ちょっとでも認知症が気になるなという方は、試しに実施してもらうとよいでしょう。