『犬 しつけ』と検索すると多くのサイトが出てきます。

犬のしつけ方として、よく体罰的な方法が紹介されていたりします。
もちろん、しっかり読んでみると推奨しているわけではないことも分かるわけですが、一般の方がチラッとサイトを見たら、「ああ、体罰を使えばいいんだ!」って納得してしまうこともあるかもしれません。

当方では、当然ながら体罰的な方法と言うのは全くおすすめしていません。

特に、強度の問題行動、攻撃行動の場合は、体罰的な方法が奏功する可能性は限りなく低いです。
それは、他でも触れていますが、脳や身体の問題から、攻撃行動が発生している可能性があることはもちろん、体罰を用いることによって、飼い主への恐怖心や防衛心が増し、攻撃性が増強される危険性があるからです。

罰を用いることの有害作用

米国獣医行動研究会では、体罰をはじめとした正の罰子を用いる際の有害作用について声明を発表しています。

声明の中で、
「罰は、一部の症例では有効であるかもしれないが、正の強化と比較して実行するのが難しいし、有害反応が生じる可能性が有るので注意深く用いなければならない」
としています。

声明の中で9つの注意しなければならないポイントと有害反応が紹介されていますので、以下紹介します。

1.正しいタイミングで罰することは難しい

罰は1秒以内もしくは他の行動を取る前に与えないと意味がないのです。その行動が発現している最中に罰を与えるのは非常に難しいです。例えば飼い主に噛んだ犬がゲージに逃げ込んだ場合、ゲージに入っている犬を引っ張り出して叩いたところで何の意味もないということです。

2.罰は望まない行動を増強するかもしれない

これ、ちょっと難しいのですが、罰は毎回必ず実施しないといけないという意味です。ある行動に対して、罰が与えられる時と、与えられない時があると、その行動が増えてしまうことがあるんですね。分かりやすく言うと、校舎裏で煙草を吸っている中学生みたいな感じですね。怒られなかったらラッキーとおもって、その行動をギャンブルとして楽しんでしまう(罰が与えられないことで報酬になる)ことになるかもしれません。毎回罰を提示するのは非常に困難です。

3.罰は十分な強度を保たねばならない

罰はある程度の強度を保たないとすぐに馴れてしまい、罰の意味がなくなってしまいます。カウンセリングに来られる方の中にも、「叱らないといけないのは分かっているけど、可哀そうで中途半端になってしまう」という方も多くいます。まして強度を保った体罰を与えるには飼い主さんにも非常に強いストレスがかかることでしょう。実質的に難しいですよね。

4.強い強度の罰は身体に障害を与えるかもしれない

もちろん、強い罰を与えれば、身体的に怪我をさせてしまうこともあります。チョークチェーンは気管虚脱や気管低形成の犬の気管を傷害することが有ります。何より痛いですしね。電気ショックの首輪でやけどする犬もいます。痛い痛い。

5.罰の強度に関係なく、罰は一部の個体にとって強い恐怖をもたらし、この恐怖が他の文脈に般化しうる

身体に傷を残すことのない強度の罰であっても、恐怖刺激になることは十分にあり得ます。特に不安傾向の強い犬では恐怖となりやすく、それが飼い主であった場合、飼い主が近づくだけで恐怖になるということもあり得ます。

6.罰は攻撃行動を誘発または悪化させる

これはまさにだと思うのですが、罰を与えようとすることで、それを避けようとしてより攻撃的になるというのはよくあるパターンですね。手を上げると唸り出す犬は叩かれた経験があるから、それを避けようとして唸っていると考えられます。さらに実際に体罰を与えることで格闘になり、よりひどい怪我に発展することも考えられます。

7.罰は咬む前の警告の様な行動をも抑制する

犬は、恐怖刺激から逃れるために攻撃行動を起こすとき、多くの場合、唸ってから咬みつきますよね。罰を与えることで、唸ることをやめさせることが出来るかもしれませんが、犬自身は恐怖状態から逃れられていません。唸るのをやめた犬に対してさらに恐怖刺激を与えることで、唸ることなく突然咬みつくようになることがあります。唸る=「やめてくれ」と言うメッセージですから、そのメッセージを受け取れない飼い主さん=唸ってもやめてくれない飼い主さんには、実力行使で噛むと言う選択しかなくなります。

8.罰は悪い連合学習の原因になるかもしれない

オイデで来なかった犬を罰することで、オイデと呼んでも来なくなるあるいはしぶしぶ来るようになるなど、他の行動と関連して学習することで、望ましくない行動を覚えさせてしまうこともあるかもしれません。

9.罰はより好ましい行動を教えることはできない

罰を与えるという選択肢では、それまで望ましくない行動に対して働いてきた強化子を除去する手続きは行われません。それにより犬は混乱し、その望ましくない行動をした方がいいのかしない方がいいのか分からなくなってしまいます。犬から見れば、飼い主は気まぐれで時に嫌な事をしてくる変な奴を見られるようになり、犬との関係は悪くなってしまいます。

罰を用いる理由ってなんだろう?

このように、罰を用いることで様々な有害反応があるわけですが、それでも人は罰を用いています。

なぜ、罰を用いるかというと、「飼い主がリーダーにならないといけないから」と言うのがよく指摘されています。

「犬は家族に順位をつけて、自分をその中に位置づけるんでしょ?」
なんて話を良く聴きますが、実は犬は社会階層的な順位をつけるようなことはしないというのが近年の研究で指摘されています。

そもそも序列の話はどこから始まったのでしょうか?

実はこれはオオカミの行動研究を犬に当てはめたものだったのです。動物園のオオカミの群れでは、繁殖できる雄雌を頂点とした緩やかな階層構造=序列関係が作られていることが研究されてきました。これを犬に当てはめて考えだしたことで「犬は家族との間に序列を作る」という考え方になったようです。

オオカミとイヌは2万5千~1万5千年以上前に共通の祖先を持つと考えられています。その間オオカミは野生で生き、犬は家畜化されました。1万5千年前と言えば、旧石器時代の終わりごろです。オオカミとイヌの行動特性の差は、人間で例えるなら、アフリカの文化と日本の文化の差の様なものです。ケニアのキクユ族の挨拶は、相手の手に「唾をかける」ことで魔除けの意味があるそうです。日本人と共通の祖先を持つキクユ族の行動を研究した行動学者は、「唾をかけない」日本人を見て、日本人はきちんとした挨拶もできないと判断するかもしれません。オオカミの行動を、犬の行動に当てはめるというのは、ケニアの文化を日本の分化に当てはめるくらい?無理のある話なのです。

話が脱線しましたが、そもそも犬はそこまでしっかりした序列関係を作る生き物ではなく、野犬の群れの構造もあいまいであることが指摘されています。オオカミではαオスとαメスのみが交配し他の個体は面倒を見るというのはよく指摘されます。オオカミの群れのサイズは獲物となる動物種によっても異なりますが、基本はが父親と母親を中心とし、その子どもによって群れが形成され、血縁によるつながりを中心とした群れと言えます。野犬の群れの研究では、オオカミと異なる群れの構造が指摘されています。一つは交配の形態で、αオスとαメスだけが交配する様な形ではなく、複数のペアが交配し子をのこします。また野犬は群れで協調して狩りをすることもなく思い思いに食料を調達します。こうした動きから野犬は群れというより集団と言った方が適切とする指摘もあります。

ということで、オオカミとイヌの話になってしまいましたが、飼い主がリーダーになる(強権的なリーダー・上下関係を作る)必要があるというのは間違いと言うことが言いたかったのです。

罰を用いるのではなく、適切なコミュニケーションを

と言うことで、犬の世界に序列はないのです。「力でねじふせて犬の上に立つ」必要はどこにもありません。

「言うことをきかない」理由は何でしょうか?単純に

1.何をすればいいかわかっていない
2.いうことをきいても嫌なことが起こる

ためにやらないということだろうと考えられます。犬ときちんとコミュニケーションを取り、何をすればいいか教える、指示を聞いたら報酬を与えるということを一貫して繰り返していくことが犬との信頼関係を築くために必要な事なのです。

「この人と一緒にいると楽しい!うれしい!」

と思ってもらえるからはじめてこちらの指示に耳を傾けてくれるのです。主従関係ではなく、この人と一緒にいたいという信頼をベースにした関係を築いていくことが、犬も人も幸せになる道ではないかと思います。

では。