<ご相談の主旨>
- 家族や他人に対する攻撃行動(家族が中心)についてのご相談。
<基本の情報>
- H.くん:犬種 柴犬、5歳4か月、去勢雄、体重約14㎏
健康状態について
- 特に問題なし。
- 動物病院での診察が難しく、訓練センターを利用していた。
既往歴について
- 特記事項なし。
生活環境
- 生活エリアは玄関〜廊下〜リビングダイニング。
- キッチンは立入禁止。
- 外に向かって吠えるのは出窓から。
- 留守番中と夜はハウス(ケージ)で過ごす。
- ケージへの入りを嫌がっていたが、慣れてから抵抗なく入るようになった。
生活習慣
- 食事:1日2回。食欲にむらがあり、食べないこともある。おやつや散歩中のフードは食べる。
- おとなしく待てたときにオヤツを与えている(散歩中の立ち止まりの際など)。
- 使用フード:プロマネージ/ペディグリー
- 散歩:1日2回。
<問題となっている行動について>
これまでの経緯・問題行動の発生状況
大きな攻撃行動
- 初診の約1週間前
- 出窓から吠えていたところ、ブラインドカーテンを開けようとしたら咬まれた。
- 初診から約3か月後
- ケージ内で使っていたカーペットを廊下に貼ろうとしたとき、近くで見ていたところ咬まれた。
日常的な攻撃行動(室内)
転嫁性攻撃行動
- ピンポンが鳴ると吠え始め、近くにいる人の足に咬みつこうとする。
- トラックの音でソワソワし始め、ピンポンが鳴るとさらに興奮が強くなる。
- ピンポンはなるべく鳴らさないようにしている。
葛藤性攻撃行動
- 撫でていたのに突然咬む(最近は撫でないようにしている)。
- リビングで寝ているそばを通ると吠える・咬む(横になっているときは音を立てないようにしている)。
- ケージ内にいるときに、椅子を引く音に対して唸る。
日常的な攻撃行動(屋外)
転嫁性攻撃行動
- 散歩中、向かってくる車や人に引っ張って近づこうとし、止めようとすると足を咬む。
- 知らない場所では興奮しにくい傾向がある。
診断とお話
転嫁性攻撃行動(Redirected Aggression)とは
- 犬が強い刺激(来客のチャイム、通過する車やトラック、窓の外の人など)に反応して興奮が高まったとき、その刺激に直接アクセスできない状況で、代わりに近くにいる人や動物に攻撃が向く行動。
- H.くんの場合、「ピンポンが鳴る → 興奮するが出窓や玄関に近づけない → 代わりに近くにいる家族の足を咬む」というパターンが典型例にあたる。
- 散歩中の「車が来る → リードで止められる → 飼い主の足を咬む」も同じ構造。
- 咬まれた側に非があるわけではなく、犬が「怒っている」のではなく「興奮の矛先がなくなっている」状態。そのため、飼い主が叱ってもほとんど効果がなく、状況を悪化させることが多い。
葛藤性攻撃行動(Conflict-related Aggression)とは
- かつては「優位性攻撃行動(ドミナントアグレッション)」と呼ばれていたが、現在は「葛藤性攻撃行動」という表現が主流となっている。
- 犬が「そばにいたい/撫でてほしい」という接近欲求と「触られたくない/邪魔されたくない」という回避欲求の間で葛藤しているときに生じやすい。
- H.くんの場合、撫でられている最中に突然咬む、リビングで寝ているそばを通ると咬む、椅子を引く音に唸るなどが該当する。
- 寝ているときや休んでいるときに刺激を受けると、自律神経的な覚醒が急激に起き、攻撃につながりやすい(睡眠の邪魔に対する反応として理解できる)。
刺激の積み重なり(Trigger Stacking)について
- 犬の興奮・攻撃性は、単一の刺激だけで決まるのではなく、一日の中で複数の刺激が積み重なることで閾値を越えやすくなる。
- H.くんの場合、「トラックの音でソワソワ → ピンポンが鳴ってさらに興奮」という流れが記録されており、刺激の積み重なりが起きていることが確認できる。
- 散歩中に車とのすれ違いが連続すると興奮が高まるのも同様のメカニズム。
- そのため、「ひとつの刺激に慣らせればよい」という単純な対処ではなく、日常的な興奮の総量を下げる環境調整が重要となる。
H.くんの行動パターンの全体的な評価
- 転嫁性攻撃行動と葛藤性攻撃行動が混在しており、攻撃行動のリスクが複数の文脈で生じやすい状態にあった。
- 出窓という「外部刺激を見続けられる場所」が日常的な興奮の温床となっており、これが室内での攻撃リスクを高めていたと考えられる。
- 慣れた散歩ルートで興奮の条件づけが形成されており、特定の道・状況でのみ強く反応するパターンが見られた(知らない場所では興奮しにくい、という点が裏づけ)。
- 柴犬という犬種特有の独立心の強さ・感覚的な鋭敏さも、閾値の低さに影響している可能性がある。
- これらを踏まえ、環境調整・行動修正・薬物療法の3本柱で対応する方針とした。
<具体的な対応策>(初診時)
- 食餌量の調整
- 現在の体格は良好なため、フード量を10%程度減らしても問題ない。
- フードの銘柄の変更
- より食いつきのよいフードに変更することで、トレーニング効果も上がる。
- 散歩ルートの変更
- 現在のルートでは興奮の条件づけが起きている可能性があるため、使っていない道を取り入れる。
- 散歩中のオヤツの増加
- 問題がない場面でも名前を呼んでオヤツを与える習慣をつける。
- 出窓の目隠し
- 出窓の下部を目隠しして、外が見えないようにする。
- ピンポンの脱感作練習
- 何もないタイミングで録音したピンポン音を鳴らす練習を行う。
- 家族の帰宅時にも同様に活用する。
- ケージへの目隠し
- 段ボールや布でケージを覆い、ケージ内で落ち着けるようにする。
- 薬物療法
- フルオキセチン10㎎(錠剤)×30日分(1日1回、継続投与)
- 脳内のセロトニン代謝を調節し、抗不安・抗うつ作用を期待する。
- 副作用:下痢、食欲低下、傾眠傾向。
<経過>
初診から約3週間後(再診①)
経過
- 出窓の目隠しはほぼ完了。
- ピンポンの脱感作練習を実施中。
- 薬は納豆に混ぜて投与。
- なんとなく落ち着いている印象。
- 散歩中の車・人への興奮はあまり変化なし。自転車は比較的大丈夫なことが多い。歩行者(特に狭い道や高齢の方)が苦手。
成果
- 唸ることが減った。
- 家族がピンポンを鳴らすことへの反応は問題なし。
- この1か月は大きな問題なく経過。
現在の課題
- 散歩中に車の方へ向かおうとする。
- シャンプーに対応できるようにしたい。
レッスン・指導内容
- 散歩練習:リードを伸ばしすぎず短めに持つ。
- 身体を拭く練習(小さめのタオルで行う)。
- お風呂場でオヤツを与えるトレーニングを開始する。
処方
- フルオキセチン10㎎ 1日1回×30日分
初診から約2か月後(再診②)
経過
- 家族の帰宅時にピンポンを鳴らすようにしている。
- 家の中は落ち着いている。
- 散歩:普段の道では跳びかかることが多いが、別の道では跳びかかりが少ない。朝は比較的おとなしい。
成果・評価
- 唸ることはほぼなくなった。
- 椅子を動かしても問題なし。
- 表情が柔らかくなった(以前は睨むような表情があった)。
- 十分な成果が出ており、この状況を継続するとよい。
- 次回以降で減薬についても検討する。
今後の課題
- 動物病院での受診:次の春に狂犬病・フィラリア・混合ワクチンを実施し、反応を見て方針を決める。
処方
- フルオキセチン10㎎ 1日1回×60日分
初診から約4か月後(再診③)
経過
- 全体的に調子よく過ごしている。
- すごく近くに来た人・犬には吠えるが、自転車は大丈夫になってきた。
- 車とのすれ違いが続くと興奮が高まることがある。
- 若い方にはあまり吠えない、高齢の方には吠える傾向がある。
- 距離が取れていれば吠えない。
- 身体を拭くことはできている(シャンプーはまだ)。
食欲
- 少し前は食欲が弱かったが、最近は改善。散歩コースを変えた効果かもしれない。
評価
- 減薬の強い希望はないため、1年程度は継続する。
指導内容
- お風呂場で身体を拭くようにする。
処方
- フルオキセチン10㎎ 1日1回×60日分
初診から約6か月後(再診④)
処置
- 来院前投薬(PVP):トラゾドン150㎎、ガバペンチン600㎎を事前投与。
- 狂犬病ワクチン接種。
- フィラリア血液検査。
- 少し嫌がる様子があったが、問題なく実施できた。
経過
- 日常生活は支障なく過ごしている。
- 以前かかっていた動物病院では怒ってしまって診察できないと言われていたが、今後はこちらで少しずつ慣らしていく方針。
今後の方針
- 来院のたびに処置を行い、反応を見ながら動物病院への慣れを少しずつ進めていく。
初診から約8か月後(再診⑤)
処置
- 10種混合ワクチン接種。
- 抱っこすると嫌がる様子があったため、地面で保定して実施。
- 前回より緊張度が高かった印象。
- 次回以降は来院前投薬(トラゾドン150㎎、ガバペンチン600㎎)を事前に使用すること。
経過
- 日常生活は特に問題なし。
- 雨の日に散歩に連れて行こうとした際に嫌がり、咬もうとした(ズボンに歯が当たった程度)。
評価
- 処置の際には来院前投薬を使用すべき。
処方
- フルオキセチン10㎎ 1日1回×60日分
- トラゾドン50㎎×3錠 頓服×4回分
- ガバペンチン300㎎×2錠 頓服×4回分
初診から約11か月後(再診⑥)
経過(攻撃行動の発生)
- 同居していない家族が来ていた際(週1〜月1回程度)、同居家族が不在の状況で、その家族が椅子から立ち上がったところ、距離は離れていたがびくっとして吠えながら向かっていき咬んだ。
- 夜間に雷が鳴ったためケージから出していた状況で、家族がソファで居眠りしてしまった。雷が収まりウトウトしていたH.くんのそばで家族が急に立ち上がったところを咬まれた(手を咬まれた)。睡眠を妨害されたことが要因と考えられる。
- ピンポンが鳴った際に近くにいた家族に向かいそうになる場面もあった。
評価
- 今回の攻撃はいずれも非日常的な状況下で発生したものと評価できる。今後繰り返さなければ、現在の対応を継続する方針でよい。
- 雷のときはケージから出すより、薬でコントロールするほうがよい(トラゾドン+ガバペンチンで対応)。
- 薬物療法は現在の用量を継続(増量も可能だが、特別な状況がなければ現状維持)。
- 今後も危険が生じやすい場面を観察してもらう。
処方
- フルオキセチン10㎎ 1日1回×60日分
総括
本症例では、転嫁性攻撃行動(ピンポン・車の音・来客などの外部刺激で興奮が近くの人へ向く)と葛藤性攻撃行動(撫でられる、そばを通る、物音など)を主体とする問題が認められました。
環境調整(出窓・ケージへの目隠し)、行動修正(ピンポンの脱感作練習、散歩ルートの変更)、薬物療法(フルオキセチン継続投与)を組み合わせることで、初診から約12か月後の時点では日常生活上の大きな問題はなく、経過は良好です。

