ヒトと犬の病態の比較

 ヒトの認知症は病態によっていくつかに分類されており、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症 が代表的なものになります。

 この中で、アルツハイマー型認知症については、犬の脳をモデルとした研究が行われています。なぜ犬の脳を用いた研究が行われているかというと、犬の脳の老化や犬の認知症で起こる脳内の変化と、アルツハイマー型認知症で起こる脳内の変化には、共通点が多いからです。

 先ほど説明したアミロイドβやタウタンパク質といったたんぱく質が脳に沈着して神経細胞を傷害し、脳が萎縮するという変化は、犬と人で共通で起こる変化です。また酸化ストレスが脳神経へのダメージを与え、神経細胞の老化や死を引き起こす点も、ヒトと犬で共通しています。

 そのような共通点から、犬と人とでは、ある程度は似通った病態で認知症が進行すると考えられています。もちろん別種の生き物ですから、全く同じプロセスで老化が起こるわけではありません。しかし、同じ哺乳類であり、病態の共通点もあるため、人の治療を犬に使えたり、犬で研究された方法が人の治療に活かされるということが起こっています。

 犬の認知症では、症状の緩和や進行を遅らせるために、必要に応じて様々な薬が使われますが、当然ながら犬の為だけにつくられた薬は一つもなく、全て、人のためにつくられた薬を犬でも使っている状態です。私は、犬の認知症に対しては漢方薬を使うことが良くありますが、人の認知症でも良く使われている抑肝散や八味地黄丸を利用することで、犬でも症状の緩和が見られます。

 人の認知症と犬の認知症、それぞれの研究と実践が蓄積されることで、双方の患者さんの生活が改善されていくことを期待したいと思います。

人と犬の症状の比較

 認知症の症状は大きく二つに分類されます。ひとつは、脳の器質的な変化によって直接生じる「中核症状」、もうひとつは、中核症状に伴って二次的に現れる「周辺症状(BPSD:Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)」です。

 中核症状とは、神経細胞の死滅や機能低下に起因する、認知機能の基本的な障害を指します。代表的な中核症状としては、人や物の名前が思い出せない、最近の出来事を忘れる、同じことを何度も尋ねると言った記憶障害、今が何時何分か、今日が何日か、今いる場所がどこか、相手が誰かといった基本的な認識が曖昧になる見当識障害、状況の変化にうまく対応できず、適切な判断ができなくなる理解・判断力の障害などが挙げられます。計画を立てて物事を段取りよく進める力が低下し、身の回りのことがうまくできなくなる実行機能障害、言葉がすぐに出てこない、語彙が乏しくなる、話のつじつまが合わなくなる言語障害、物の使い方がわからなくなる(例えば、歯ブラシを髪に当てるなど)、身だしなみが保てなくなるなどの失認・失行なども見られます。

 これらの中核症状は、認知症の種類(例:アルツハイマー型、レビー小体型、前頭側頭型、血管性など)や進行度により現れ方が変わってきます。犬の認知症に近いと言われているアルツハイマー型認知症では、物忘れや、何度も同じ話をするといった記憶障害に基づく症状が多い様です。また、日付が分からなくなったり、馴れている場所でも道に迷ったりする見当識障害も現れてきます。こうした中核症状により、周囲とのコミュニケーションがとりづらくなること等の影響によって、BPSDも現れるようになってきます。

 BPSDは、中核症状が進行することにより、今までできていたことができなくなる本人の混乱や不安、あるいは、何かを失敗して家族に怒られることが増えた等、周囲の人と円滑にコミュニケーションをとることができない事が影響して生じる心理的・行動的な問題の事を指します。

 自分が認知症を発症したことにより、不安を感じるのは想像に難くありません。どうすればいいか分からなくなって、家族や周囲の人に迷惑をかけてしまう、がんばって普通にしようとしてもできないことで、うつ状態に陥る方もいらっしゃいますし、それに伴う、睡眠障害も起こります。何か自分にやりたい事や訴えがあっても、それをうまく表現できない、伝わらないということや、何度も同じ話をしてしまって家族から敬遠される、同じ失敗を繰り返して叱られるといったことが重なれば、家族との間で安心したコミュニケーションが出来なくなってきます。そうした心理的な葛藤から、暴力的な態度や、暴言を吐くことが増えるといった症状がみられるようになることもあります。社会的逸脱行動、性的な逸脱行動、過度な収集癖という形で症状が現れることもあります。

 BPSDは、本人の様々な機能を制限して、本人を苦しめるばかりではなく、中核症状よりもBPSDの方が、介助者にとって精神的ストレスになり大きな負担となると言われます。分からなくなることよりも、分からなくなったことでの自分に対するいら立ちや、周囲とのコミュニケーションに関するいら立ちが辛いということなのかもしれません。周囲にとっても、中核症状よりも、感情的なぶつかり合いになってしまうことがあるBPSDの方が辛いというのは、その通りだなと感じます。

 犬では中核症状とBPSDのような分類はなく、認知機能障害・情動変化・身体機能障害など全てひっくるめてDISHAAの6徴候として分類しています。しかし、実際は、中核症状とBPSDのような分け方は可能ではないかと思います。

 例えば、犬の認知症の見当識障害では、部屋の隅に挟まってしまって動けなくなるということが良く起こります。この時、犬は、挟まったままじっとしているかというと、そうではなく、多くの子が挟まったまま吠え続ける行動が出ます。犬が「ここから出る方法が分からない」という状態になっているのは、見当識障害であり、ヒトの中核症状にあたる部分と考えられます。一方、そのあとに吠え続ける行動は、一見すると無目的な行動を繰り返しているように見えますが、飼い主に自分の窮状を知らせて助けてもらおうとする吠えかもしれません。多くの場合、引っ掛かりを解除してあげれば、吠えるのを止めて、また歩き出します。この時、吠えは、認知機能の低下による直接的な行動ではなく、認知機能の低下に伴う窮状を訴えるための行動であり、人の認知症のBPSDにあたる部分と考えられます。

 ヒトの認知症でも、BPSDは周囲の人の接し方次第で、緩和することができると言われています。犬の認知症についても、接し方で犬自身や家族の苦痛を減らせる部分は十分にあります。変えられない部分を受け入れつつ、変えられる部分を変えていくことで、犬の晩年を伴走していくことが大切ではないかと思います。