本記事では、犬の認知症(認知機能不全症候群)を扱います。とはいえ、犬の認知症はまだまだ一般には知られていません。一方で、超高齢社会の進展に伴い、人の認知症については、より身近になっていると思います。認知症とは何かを考える上で、まずは、人の認知症について触れていきたいと思います。

人の認知症とは?

「認知症とは、一度獲得した知的機能が後天的な脳の障害により持続的に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたす状態を指します。」

— 厚生労働省『認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)』より(2015年)

 人の認知症の症状には、物忘れがひどくなる、道が分からなくなって迷子になる、家族や親しい人が分からなくなってしまうというようなイメージがあると思います。加齢に伴う認知機能の衰えは誰しも起こりますが、その変化が急激に進む人とそうでない人がいます。急激な認知機能の低下は本人だけでなく周囲の人の社会生活にも強く影響します。

 人の認知症の症状は、「中核症状」と「行動・心理症状(BPSD)」の二つに大別されます。「中核症状」とは、脳の神経細胞の障害によって直接引き起こされる基本的な症状を指します。記憶力や判断力の低下はこれにあたります。

 一方、「行動・心理症状(BPSD)」は記憶力や判断力の低下に伴って、周囲とのコミュニケーションに問題を生じて、二次的に発生する心理的・行動的な症状です。たとえば、徘徊、妄想、幻覚、興奮、暴言、睡眠障害、介護への抵抗などが挙げられます。うまく自分をコントロールできなくなり、何をやっても叱られてしまうというような状況では、そうした自分や周りの人に対して怒れてしまうというのも理解できます。

 中核症状は医学的に進行を止めることが難しい場合が多いものの、BPSDは周囲の理解と対応によって変化する可能性があるとされます。

 高齢化が進む社会では、認知症は「誰もがなりうるもの」になってきました。日本老年学会の報告書によれば、85歳以上の認知症の罹患率は50%を超えています。かつて、認知症が痴呆と呼ばれていた時代には、「人は年を取れば呆けるもの」という認識が当たり前でした。このような、認知症が当たり前の時代にあって認知症を考えるとき、常に頭に浮かぶのは、「認知症は病気なのか?」という問いです。正常な老化と認知症は何が違うのでしょうか?どう捉えればよいのでしょうか?

 人の認知症は、医学的には、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症などに分類されますが、共通して、脳の神経細胞の死滅したり機能不全に陥ることで、「中核症状」や「行動・心理症状(BPSD)」が発現し、日常生活に支障をきたす状態と理解されています。脳の神経細胞の死滅や機能不全という意味で、認知症になった人の脳は正常な働きをしておらず「病気である」と言えます。

 この理解は、他の身体の老化とよく似ています。たとえば腎臓の機能が年齢とともに落ちるのは自然な老化現象ですが、一定の水準を下回ると「腎不全」という病名がつき、医学的対応が求められます。骨格についても、自然な老化現象として骨密度が低下し骨折しやすい状態となりますが、何らかの衝撃が加わることで、実際に骨折し医学的な対応が必要となります。

 脳についても同様に、正常な老化によって、脳機能は低下していきます。筋肉が痩せ細るように、正常の老化の中でも、神経細胞の数は少しずつ減少していきます。その結果、物忘れや考えがまとまらないといった認知の低下につながっていきます。通常の老化では、脳神経の衰えは緩やかで、認知機能の低下が生活に支障をきたすようになるまでには時間がかかります。

 一方で、神経細胞の死滅や機能不全が急激に進行することもあります。認知機能に異常が見られない人と、認知症を発症している人(いずれも58~87歳の男女)の海馬容積を比較した研究では、認知機能に異常が見られない人は1年間の海馬容積の低下率が1.1%だったのに対し、認知症を発症している人は2.9%、軽度認知障害から認知症に移行した人は5.9%海馬容積が減少していました。

 身体も脳も、年齢を経るごとにその機能は衰えていきます。その意味で、病気は老化の延長線上にあると言えます。一方で、心身の機能の衰えについては個人によって違いがあり、あるタイミングで急激に衰え、それが生活に支障をきたすようになることもあります。認知症は、誰もがいずれ辿り着く老化減少の一つでありながら、急に発症するかもしれない病気でもあるという両方の側面を持っていると言えます。

 これは犬の認知症でも同じです。犬も長寿命化しており、中には、19歳、20歳まで生きる子もいます。自然な老化として、筋力が衰えていくと同時に、脳の機能も低下していきます。一方で、ある時点から急激に認知機能が衰え、飼い主と犬の生活に支障をきたすようになることもあります。

 人も犬も長寿になりました。足から衰えるのか、内臓から衰えるのか、脳から衰えるのか、それはそれぞれの人や犬の生まれ持った遺伝子や、生活習慣によって変わってきます。共通して言えるのは、衰え自体は避けられないということです。命に限りがある以上、いつか身体は機能しなくなり、脳は感じることができなくなります。認知症は治る病気ではありません。ともに過ごしていく病気と言えるでしょうか。もし認知症になっても、虹の橋を渡るその時まで、犬も私たち飼い主も心穏やかにいられるかどうか、それこそが、最も大切なことなのではないかと思います。認知症を治すのではなく、認知症と付き合っていくために、本サイトの知識がみなさんのお役に立てば幸いです。