近年、獣医行動診療科の認知が広がると共に、犬の問題行動が単に「しつけの問題」ではなく、身体疾患や脳機能の異常によって引き起こされていることが知られるようになってきました。
問題行動の改善には、しつけ・トレーニングだけでなく、原因となっている身体の問題(痛みや不快感/ホルモン異常など)を治療することや、薬物療法により脳機能を調整することが有効な解決策になります。
本記事では、特に薬物療法に焦点を当てて、なぜ問題行動の改善に薬物療法が有効であるのか、またその効果と副作用について解説します。
脳機能の異常は問題行動を発生させる
脳は行動の中枢であり、脳機能が異常であれば、行動が異常になるのは当然のことと言えます。
人でも、うつ病などの精神疾患を発症した際には、正常時と同じ心持ちで、同じ行動をとることが難しくなります。うつ病の病態はまだはっきりと解明されていませんが、人の気分を形成するモノアミン(セロトニン・ノルアドレナリン・ドパミン)の代謝に異常をきたすことで、うつ病の症状が生じることが分かっています。
動物でも、人為的にセロトニンを枯渇させた動物では攻撃行動が生じることが様々な種で確認されています。こうして生じた攻撃行動は、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(抗うつ薬)を用いることで軽減されます。
持続的なストレスは脳を萎縮させる
また、持続的になストレスは、不可逆的な脳の変性・萎縮を起こすことが知られています。特に萎縮を生じやすい部位は海馬です。海馬は記憶の貯蔵だけでなく、ストレス反応にも関与しています。海馬にはコルチゾール受容体があり、ストレス反応のブレーキをかける役目がありますが、海馬が委縮するとストレス反応にブレーキがかからず、持続的なストレス状態が維持されてしまいます。
持続的なストレス状態は、交感神経を優位にさせ、様々な刺激への過敏性を高めてしまいます。ちょっとした刺激に対して過剰に反応するような状態になります。
尚、選択的セロトニン再取り込み阻害薬は、海馬における神経新生を促進し、海馬のダメージを軽減する作用もあります。
このように、脳機能の異常は、行動の異常に直結しています。脳機能が異常なままで、行動のみ正常に戻そうとするのは無理があるということは理解いただけるかお思います。
行動の正常化には、脳の正常化が不可欠
脳と行動の異常がどの程度のレベルまで進んでいるか次第ですが、常にピリピリして落ち着かず、ちょっとした刺激に対して過剰に反応し、家族や自分の身体を傷つけてしまうようなレベルの行動が生じている場合、脳機能も正常から逸脱していると考えるのが妥当です。
こうした場合に、問題行動を治療し、行動を正常化させていくためには、やはり、行動の中枢である脳の機能を正常化させていく必要があります。
持続的ストレスに対する、脳機能の変化は、一定レベルであれば可逆的です。つまり、治すことが可能です。そのためには持続的なストレス状態を解除することと、萎縮した脳(海馬)の修復を促進する必要があります。
セロトニンは脳のブレーキ
この脳の正常化をサポートするのが、薬物療法です。行動治療では、選択的セロトニン再取り込み阻害薬に代表される、抗うつ薬が良く使用されますが、抗うつ薬は総じて、セロトニンの代謝に影響を与えて薬理作用を発揮します。
セロトニンは脳のブレーキとも呼ばれる神経伝達物質で、情動の昂ぶりを抑える働きがあります。
例えば、人が近づいただけで攻撃的になる犬では、小さなことにドキドキびくびくして「何かされるかもしれない」「嫌なことが起こるかもしれない」というマイナスの想定をしており、だからこそ「攻撃して撃退しよう」という行動に発展します。
セロトニンの働きが十分であれば、小さなことに対してドキドキびくびくしにくく、当然攻撃も発生しにくい状態になります。犬の方も余裕が生まれるため、「人が何をしようとして近づいてくるのか」「危害を加えようとしているのか」ということを冷静に判断できるようになります。抗うつ薬はこの状態を作り出すために使われているわけです。
抗うつ薬の効果
抗うつ薬を使用することで、問題行動の発生の頻度と程度に影響を与えることができます。
攻撃行動で言えば以下のような感想が寄せられることが良くあります。
- 薬をはじめてから興奮することが少なくなった
- いつもなら、犬歯が刺さるほど咬まれていたのに、蚯蚓腫れ程度で済んだ
- いつもなら、3~4回連続で咬みついてくるのに、今回は1回で済んだ
- ケージの前を通るだけで唸っていたのに、唸らなくなった
- 総じて、落ち着きが出て、人の話を聞けるようになった