老犬の介護、老犬の看取りを考えるうえで、重要なキーワードがあります。それは動物福祉です。動物福祉とは、動物の生活の質を表す言葉です。日本では動物愛護という言葉の方がポピュラーですが、動物愛護は日本独自の言葉で、世界的には使われていない言葉です。
老犬の介護、老犬の看取りでは、その犬の生活の質が良い状態にあるのか、悪い状態にあるのかを客観的に判断することはとても重要です。かわいそうという主観的、感覚的なものに頼ることは時に動物の苦しみを増やしてしまうことになります。だからこそ、科学的、客観的にその動物の苦痛を把握することは、動物の幸せを守るために必要不可欠なことです。動物の状態を客観的に判断する上では、動物福祉の考え方がそのベースとなります。
動物福祉と動物愛護のおおよその定義は以下のようになります。
【動物福祉】
動物福祉とは、動物の実際の状態、個々の動物が経験する生活の質(QOL=Quality of life)について表す用語です。良い動物福祉とは、その動物自身が、良い生活の質を得ており、身体的・精神的に健全な状態にあることを指し、悪い動物福祉とは、その動物が劣悪な環境に置かれ、身体的・精神的に不健全な状態にあることを指します。
動物福祉の評価は、「かわいそう」や「幸せそう」といった主観的な判断によるのではなく、動物の心身の状態を総合的且つ客観的(科学的)に把握し判断されます。例えば、室内飼育の犬と、屋外飼育の犬がいたときに、どちらがより良い状態かを検討するとしましょう。室内飼育では空調が完備されていて、ずっとリラックスして寝ていられる環境です。一方で屋外飼育では空調はないものの、日影があり風通しがよく、快適に過ごせます。この場合、動物福祉を保証する上での生活環境の快適性には大きな差はないと言えるでしょう。別の視点で比較すると、室内飼育では、ほとんどケージに入っていて、遊ぶことが出来ない環境にあり、屋外飼育では、穴を掘ったり、岩に登ったり、隠れたり、時々虫や小鳥が表れて刺激的な環境だとします。この場合、屋外飼育の方が良い福祉の状態ということが出来ます。このように、動物福祉では、「屋外飼育なんてかわいそう」という主観的イメージではなく、環境の快適性や行動の選択肢の多さといった、客観的な事実に基づいて、良い状態か悪い状態かを判断します。
また、動物福祉という言葉は、飼育されている動物の『生きている状態』に対して、できるだけ良い福祉を提供すべきであるという倫理観が内包された言葉です。もともと動物福祉は牛や豚などの畜産動物への倫理的配慮の必要性を検討する中で生まれてきた概念であり、『殺して利用する事』を否定するものではありません。そのため、と殺の方法や安楽死の方法が動物にとって苦痛であるかどうかについては問題視しますが、と殺や安楽死そのものを問題視することはありません。『生きている状態』での苦痛を取り除くべきという意図があるため、治らない疾患等で苦痛を感じている動物は、苦痛から解放するという意味で、安楽死させるべきだと考えます。
【動物愛護】
動物愛護とは、人が動物を大切にしたいという気持ちを指す言葉です。可愛がりたい、あるいは、可愛そうといった感情は、動物愛護の精神と言えるでしょう。動物自身が経験している状態について表す言葉ではなく、あくまでも、人間の主観的な気持ちを表す言葉です。
動物愛護は、客観的な評価とは対照的であり、その人自身が可愛がっていると思えば動物愛護である。例えば、飼い主が動物に服を着せて可愛くすることは、動物自身は望んでいることでなくても、飼い主にとっては可愛がっている行動であり、動物愛護的な行動と言えます。外にいる野良猫が可愛そうという気持ちからエサを与える行為は、動物愛護的ですが、結果として、避妊去勢していない猫に餌を与えることは、猫の繁殖を促し、子猫を増やしてしまうことにつながります。生まれた子猫たちは飢えや感染症ですぐに亡くなることも少なくありません。この場合、動物愛護の気持ちでやったことが、動物の苦痛を増やしてしまう結果になっています。
動物愛護の姿勢は、動物が死を迎えることを避けたい、避けようという意図が強く含まれます。殺処分ゼロに賛同する気持ちは、動物愛護の気持ちが強いのではないかと思います。弱っている動物を助けたい、可哀そうと思う気持ちは、多くの人にとって自然なものです。獣医療の現場でも、一日でも長く生かせるよう、最善を尽くすことが一般的です。日本人にとって、最期まで生きること、最期まで生かそうとすることも、当たり前のことだと思います。日本人の多くの方が、人の命と同じように、動物の命に対しても、かけがえのない命であると感じており、命が繋がること(死を避けようとすること)を大切にしています。
こうした人の命と同じように動物の命を大切にするという感覚は、日本独自のものであり、西洋の言葉が当てはまらなかったため、日本人は『動物愛護』という言葉を生み出したともいえるでしょう。
老犬の看取りは、まさに、動物福祉と動物愛護の両面から捉えることが必要だと感じます。動物福祉の客観的な視点から、動物の状態=QOLを的確に把握し、QOLの維持・向上に努めるべきですし、QOLが著しく低下した場合には、安楽死の選択肢も考慮に入れるべきです。
一方で、動物愛護の視点から見たら、睡眠薬で眠らせることや、安楽死をすることは「かわいそう」と捉えられるかもしれません。一人一人の飼い主で動物愛護観は異なりますが、そうした自分の中にある動物愛護観とどう折り合いを付けていくのかという部分も、老犬介護や老犬の看取りでは重要な要素となってきます。