愛犬救命訓練士、中村信哉さんのプロフェッショナル、放送ご覧になりましたか?

もちろん予想されていた方も多いように、罰、めっちゃ使ってましたし、繰り返し悲鳴が上がり、しっかり叩いてましたね。

闇雲に恐怖を与えるために実施される正の罰は当然やめるべきです。

番組内で中村さんが言っていたように、中村さんへの批判、罰を用いた訓練に対して抗議の声が上がっているのではないかとおもいます。実は、私の元にも、事前にNHKから問い合わせがあって、中村さんのことをどう思うか聞かれました。せっかくなので、お答えしたことや感じたことをまとめて、ご紹介しようと思います。

当サイトについて

当WEBサイトは、岐阜県岐阜市で行動診療を行っている、ぎふ動物行動クリニックが運営しています。当クリニックの院長奥田は、2017年に日本で8人目となる獣医行動診療科認定医を取得しています。
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こちらも是非ご一読ください。

適切な治療を行えば、多くの症例で症状が緩和されます。症状が悪化する前に、行動診療を行っている獣医師にご相談にお越しください。わからないこと、不安なことがあれば、当院にお気軽にお問合せください。
(ぎふ動物行動クリニック 獣医行動診療科認定医 奥田順之)
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正の罰って悪いの?

私、奥田も、行動学を専門とする獣医師でありますし、強い痛みや恐怖を繰り返し与えるような正の罰の使用には、基本的に反対の立場です。怪我を負わせたり、心的外傷を引き起こすような罰の使用は虐待に他ならない。繰り返し与えられる強い罰は動物に恐怖と苦痛を与え、動物の福祉を侵害します。

罰を使った方法は、アルファ理論を端に発していると考えている方も多いでしょう。犬が家族のなかで優位に立つとことによって、攻撃行動を起こすと説明されたアルファシンドロームですが、現在では、否定的な行動学者が大半を占めています。

また、ここ20年くらいで海外から輸入されてきた、陽性強化法に基づくトレーニングが広まるなかで、罰を用いた方法は、否定的な見方をされるようになってきたと思います。陽性強化法を中心に行う専門家からは、罰を用いる訓練士は、昔ながらの困った人たちと見られがちと思います。中村さんへの批判もそうした文脈と同じだと思います。

罰の使用に関する有害作用については、こちらにまとめてあります。

https://tomo-iki.jp/shiba-problem/1761

闇雲に実施される、強い痛みうあ恐怖を与えるような正の罰は当然やめるべきです。

ただ、

動物たちのために、正の罰の使用を否定すればいい

今回のプロフェッショナルの話は、そんな単純なものではないように感じています。

それはなぜか。

守らなければならないのは、犬の福祉だけでなく、飼い主の福祉も含まれるからです。
どんな原因で咬むようになったにせよ、愛犬に咬まれ、毎日を恐怖の中で過ごしている飼い主さんを緊急的にサポートする体制は必要。そして、その対象を中村さんの訓練所に助けを求める飼い主さんがいる現状は、正の罰を否定しても、そこに助けを求める人が減るわけではありません。

治らないから、最期の選択で愛犬救命訓練所に頼る飼い主さん

中村さんの訓練所には全国から犬が集まっています。それも大概は他のトレーナーに指導を受けたにも関わらず、なおらなかった事例がほとんどです。

実は、うちに来ていた飼い主さんが、中村さんに助けを求めたこともあるんです。完全に私のサポートの力不足の結果といえるでしょう。(簡単な経緯は後述)

他のトレーナーや、獣医師に相談しながらなおらなかった犬が中村さんの訓練所にいっている。そして、それによって、飼い主が救われたと感じている。この事実だけで、闇雲に、中村さんのさんの仕事の流儀を否定しただけで終わる問題ではないということはわかるでしょう。犬の福祉は侵害されていたとしても、救われている飼い主さんがいる、そして、多くの飼い主さんがいろいろ調べた結果、中村さんを選んでいる。

中村さんの流儀を否定しきれていない、日本の状況

犬が恐怖体験をするという話とは別に、その飼い主さんが救われるかという観点から見たら、頼れる先として中村さんがいることで救われている人は少なからずいるのです。また、同時に、犬にどのような負担がかかるかどうかという面については、飼い主さんの理解度は、決して高くありません。

現実的に、強制的なやり方を、日本全体で辞めていくためには、それ以外の方法で、飼い主さんをサポートしなければなりません。しかし、現状それができていないから、中村さんに依頼がある。しかも増えている。プロフェッショナルに紹介されたのが中村さんである以上、社会的な注目度はやはり高いわけです。

全国から依頼があるそうですが、そうした一部の飼い主さんが、中村さんに頼らざるを得ない状況になっている原因は何か。その原因には、以下の四つの項目があげられます。

  • 動物福祉と安楽殺に関する考え方や、動物の生命尊重に対する倫理観が成熟していない
  • 獣医臨床行動学が浸透していない
  • 心理療法を併用した、問題行動改善のための飼い主支援が浸透していない
  • 正の罰を使わない預託訓練が一般的ではない

動物福祉と安楽殺に関する考え方が浸透していない

第一に、日本人の精神性、文化のなかで、安楽殺という選択肢がない、あるいは、かなり限られているということがあげられます。番組の中でも、「自分がやらなきゃ殺処分」というコメントも紹介されました。もちろん、その前に適切な支援が入れば、殺処分というわけではないかもしれませんが、飼い主さんにとっては、殺処分か訓練かという選択になっていると思います。

強度の攻撃行動の場合、改善の見込みがなければ、安楽殺が適応になります。海外では、問題行動による安楽殺があまりにも多かったことが、臨床行動学が興り始めた背景にあります。

しかし日本において、問題行動があるから、動物病院で安楽殺してもらおうという選択肢を持つ人は、欧米に比べれば少ないだろうと思います。保健所に所有権放棄する人もいますが、収容全体の10~20%ほどです。番組の冒頭で、問題行動のある犬の多くが殺処分と言うような紹介がありましたが、あれは間違いで、問題行動があっても、飼い続ける人の方が大多数です。攻撃行動がある犬の飼い主さんの多くは、殺すのではなく、どうにかしてなおして、天寿を全うさせたいという思いでいるように思いますし、その考え方は、番組内のコメントからも、中村さんも同じのようです。

強度の攻撃行動を示す犬と一緒に暮らす家族のストレスは、想像を絶します。安楽殺という選択肢を持たないことで、一緒に暮す以上、人も犬も苦しみが深くなることがあります。けれど、獣医師ですら、問題行動を理由にした安楽殺に対して、忌避感を抱く人は少なくないはず。かくいう私も、もちろん、安楽殺は出来る限りしたくないと感じてしまいます。

そうした文化背景が、攻撃行動の改善の場面で、その方法論に影響を与えている、少なくとも安楽殺という選択肢を狭めていると感じます。

合わせて、動物の福祉という考え方に馴染みが無いことがその根本的な部分にはあるでしょう。どちらかと言えば、日本は、動物愛護の考え方が中心であり、生きていることそのものに価値があるとみなされやすく、生活の質には関心が向けられにくいという価値観があります。苦痛となる経験をしてでも、天寿を全うさせたいという考え方です。

獣医臨床行動学が浸透していない

第二に、獣医臨床行動学が浸透していないことがあげられます。強度の攻撃行動を示す犬では、何らかの身体的疾患によって不安を感じやすくなり、攻撃行動を発生させていることもあります。体の痛みがある場合、触ろうとすると咬むということがあります。身体疾患を適切に鑑別することは、問題行動の治療において絶対ですが、獣医臨床行動学が浸透していないことで、そうした認識なく、しつけの問題と判断し、直らないと言うこともあるわけです。

さらに、中村さんの訓練所にも柴犬が多かったですが、柴犬をはじめとして、薬物療法に反応する攻撃行動も少なくありません。最近では、攻撃行動のある犬の脳波を測ったところ、てんかんの際に発生する棘波と呼ばれる脳波がかなりの確率で計測されることが明らかになっています。臨床的にも抗てんかん薬が攻撃行動の抑制に効果を示すことは少なくありません。

こうした情報がしっかり浸透していれば、愛犬救命訓練所に頼らなくても良かった人少なくないかもしれません。番組内で紹介されていた柴犬も、早い段階で、薬物療法を併用して行動修正を行っていれば、違った結果になっていたかもしれません。

もう一点付け加えると、薬物療法はあくまでも補助療法です。恐怖や不安、てんかん等の脳の機能的な異常ではなく、学習により攻撃行動が強化されてきた場合、薬物療法はあまり効果的でないことはしばしばあります。

薬物療法に頼れば大丈夫かと言えば必ずしもそれだけで解決しません。

一番大切なのは、行動修正法です。行動修正の個別的な内容はここでは書きませんが、行動修正の成否は、飼い主の応諾性に大きく影響を受けます。

飼い主の行動変容の支援が浸透していない

第三に、飼い主さんの応諾性についてです。獣医臨床行動学では、問題行動の治療では、飼い主自身が治療者となり、行動修正を行うため、飼い主が治療法を実践できるかどうかという、飼い主の応諾性が、治療の成否を分けると考えられています。

強度の攻撃行動の場合、すでに飼い主さんが、犬に対して恐怖を抱いており、適切な治療法を実践できない場合も少なくありません。飼い主さんは素人ですので、脱感作や拮抗条件付けのプログラムをうまく進められるとは限りません。犬のボディランゲージを読むことについても、犬と関わりたくないと感じている場合、難しくなりやすいでしょう。犬に恐怖がある場合は尚の事うまくいきづらくなり、治療の成果を挙げることは難しくなります。

飼い主が犬に対して適切な対応ができるようになるためには、飼い主の考え方や、思い方が変わっていくサポートをする必要があります。

正しい改善法がわかっても、それを飼い主が実践出きるかどうかはわかりません。例えば、犬に恐怖を感じていて、犬のちょっとした行動に過剰に反応してしまう飼い主の場合、過剰に反応すべきではないことを頭で理解していても、やめられないと言うこともあります。安心感の無い関わり合いから、余計に不安を抱くことになるかもしれません。飼い主が直接的に恐怖を意識している場合もありますが、恐怖から無意識に、機嫌を取るような(犬を撫でるなどの)行動を繰り返してしまうこともあります。飼い主が対応を変えられるように支援するためには、心理療法等の応用が必要と思いますが、その辺りをしっかり学べる環境は、国内には整っていないと私は考えています。手探りでやっているという方が多くを占めるのではないでしょうか。

このあたりは、支援に入る人の技量が大きく影響してくると思います。もちろん十分に支援できる人は少なからずいるのですが、問題行動に困った飼い主が必ずしもそうした技量の高い支援者に当たるとは限りません。

飼い主さんの対応が変化しなければ、当然、結果は伴いません。飼い主は咬まれ続けます。結果の伴わない支援からは離れていくことになります。適切な行動修正法のプログラムをつくってもやれない人がいる。やれない状況があるのです。

飼い主が対応できない場合は、預託訓練しかない

犬の攻撃行動が飼い主で対応できる範囲を越えていれば、結果として、一緒に暮らしながらの改善は、飼い主の疲弊を招きます。何人ものトレーナーを渡り歩き、獣医師にも相談するかもしれません。

安楽殺という選択肢はなく、薬物療法を用いても決定的な効果はなく、飼い主自身や家族が犬に恐怖を抱き、適切な行動修正法を必ずしも実施できず、環境設定等のマネジメントも工夫の限界を迎ええいる場合、残された選択肢は何でしようか?

殺したくない、そして、咬まない/咬まれない生活をしたい。その時、預託訓練という選択肢は、飼い主にとって救世主となるのではないでしょうか。飼い主は、犬のことを殺したくない、けれども、犬から解放されたいと考えていることも少なくありません。預託訓練ならば、少なくとも預けている間は咬まれない。帰ってきても咬まれない可能性があるなら(それが正の罰による行動修正であっても)、藁にもすがる気持ちでお願いするでしょう。

つまり、安楽殺という選択肢はなく、薬物療法を用いても決定的な効果はなく、飼い主自身や家族が犬に恐怖を抱き、適切な行動修正法を必ずしも実施できず、環境設定等のマネジメントも工夫の限界を迎ええいる場合、預託訓練という選択肢は、飼い主にとって最適の選択肢(犬にとっては最善とは限らないのですが)ではないかということです。

正の罰を用いない預託訓練が一般的でない

4番目の理由は、正の罰を用いない預託訓練というのが一般的でないという状況です。

預託訓練でも、強い嫌悪刺激による正の罰を用いず、動物福祉に配慮した形であればいいじゃないかということも考えられます。もちろん、その可能性は十分にあるでしょう。ただ、今のところ、正の罰を用いない預託訓練をやっている事業所が一般的ではないという状況があるのは確かです。少なくとも私は知らないです(オススメの訓練所さんがあればぜひ教えていただきたい!)。さらにいえば、まったく嫌悪刺激を使わないということもナンセンスです。行動修正の際に、どんな形であれ嫌悪刺激を用いたほうが、むしろ早く行動修正が進み、結局犬の負担が少ないということもあります。

正の罰を用いずに、その他の面でも、動物福祉に十分配慮して、攻撃行動を行動修正して、家に帰ってもそれを継続させられるような預託訓練の事業所が求められているのかもしれません。しかし、実際の行動修正の場面では、犬が嫌がることを一切せずに、問題を解決することは不可能に近く、正の罰を用いない預託訓練は、結局成立しないのではないかと思います。

中村さん頼らざるを得ない状況が問題

強い嫌悪刺激による正の罰を用いた方法は、犬にとっては厳しいものであり、痛みと恐怖を伴うものです。正の罰な用いて咬まなくなった時、恐怖対象に対して咬むという行動をすれば、それ以上の恐怖を与えられることを予測して、恐怖から行動を抑制しているかもしれません。恐怖から行動を抑制している場合、それが生涯続くことは犬にとってかなりの苦痛となることでしょう。一方で、強い嫌悪刺激による正の罰を用いた行動修正を受けたとしても、そうした恐怖から回復し、正常な精神状態で生活できる犬もいるでしょう。

しかし、どういう経緯をたどるにしろ、犬が苦痛を感じることは事実です。犬にそうした苦痛を与えてまで、生かすことが正しいのか、安楽殺をすることが正しいのか、飼い主はどう判断するのでしょう?多くの飼い主さんは、犬に苦痛を与えてでも、行動修正して、一緒に暮らしたいと望むでしょう。

もちろん、正の罰を用いた行動修正以外の方法で、問題行動を解決する選択肢は多数存在します。しかしだからと言って、一回形成された行動を変容させるんは、それなりの抵抗が生まれ、苦痛を生じます。そして、一般の飼い主さんの目に、耳に、一般的に人道的で効果的と言われる選択肢が写っていないのであれば、その方にとっては無いも同然です。正の罰を否定するのは簡単ですが、それで飼い主さんは救われるわけではありません。飼い主さんに有益な選択肢を提示して始めて、飼い主さんの支援が成立します。

問題は、「犬に苦痛を与えてまで、生かすことが正しいのか、安楽殺をすることが正しいのか」という問を、飼い主に突きつけてしまっている社会です。

適切な獣医臨床行動学に基づく治療に巡り会えていたら、そういう問を抱かずにすんだかもしれません。

適切な飼い主への行動変容の支援を受けていたら、そういう問いを抱かずにすんだかもしれません。

動物の福祉や、安楽殺について、学ぶ機会にめぐまれていれば、そうした問を抱かずにすんだかもしれません。

正の罰を用いない効果的な預託訓練を実施している事業者を知っていれば、そういう問いを抱かずにすんだかもしれません。

いずれの状況も十分に整っていない中で、事実上、最後の砦のような形で認識されているからこそ、中村さんがプロフェッショナルで紹介されているといえます。

動物福祉を守るのか、生命の尊厳を守るのか

本来なら、すべての支援状況が整っていれば、多くの場合、中村さんを頼る必要はないでしょう。適切な最新の行動診療を受け、適切な飼い主の行動変容の支援を受け、正の罰を用いない預託訓練も実施したと。まずこれを整えることが先決で、そこに力を割いていかなければならないというのが、今回の結論です。

しかし、それだけの支援体制を整えたとしても、もう一つの主題は残ります。

つまり、あらゆる適切な支援を実施したとしても、良くならない場合です。近づくだけで唸る状況を変化させられないとしたら・・・。

その時、飼い主さんにこう告げます。
「安楽殺対象です」と。
「最後に残された行動修正法は、強い嫌悪刺激による正の罰を用いたものです」と。

「犬に苦痛を与えてまで、生かすことが正しいのか、安楽殺をすることが正しいのか」

この議論は、殺処分ゼロ運動にも通じるものです。

「犬に苦痛を与えてまで、狭いケージに閉じ込めて飼い続けるのが正しいのか、安楽殺をするのが正しいのか」

行き過ぎた殺処分ゼロにより、多頭飼育崩壊が起こっていることは、先週のクローズアップ現代で紹介されていました。

「誰かが保護しなければ、この子は死ぬ」
「誰かが訓練しなければ、この子は死ぬ」

この時、殺す決断が下せる人は少ない。逆に、殺すという決断をクールに下せる人も必要とされているのだと思います。

中村さんの活動は、保護活動に近い

実際、番組でも触れられていたように、中村さんは改善できない犬を引き取り保護しています。これは、殺処分問題に対する保護活動に近いと感じました。

殺処分ギリギリ手前をなんとか止めているということになると思います。

殺処分については、私は、殺処分ゼロを必ずしも目指すべきではなく、強度の問題行動や、回復の見込みの無い疾患などは、安楽殺も選択肢に入れていくべきだし、流入が多い状況で無理に殺処分ゼロを目指すべきではない、流入を減らすべきという立場です。しかし、世間的には、殺処分ゼロを支持している人の方が多いのでは?と感じています。そうした世論から見れば、保護活動や中村さんの活動は、仮に動物福祉を一定程度侵害していても必要と捉えられているでしょう。

闇雲に実施される正の罰は当然やめるべきです。

しかし、究極、その飼い主さんが置かれた状況で、適切な支援が届かず、安楽殺か、正の罰を用いる訓練かの二者択一を迫られた時に、その飼い主さんが中村さんに頼ることを否定のしようがないと思います。

中村さんの技術が必要な状況にしまっている支援者の問題

結局、その飼い主さんに、一般に人道的で効果的と言われる方法を提供できなかった支援者の力不足としか言いようがありません。また、その問題行動を予防できなかった動物に関わるあらゆる専門家の責任とも言えます。ウチから中村さんのところに移られた飼い主さんは、ウチの提供する方法では救えなかった。力不足なんです。メインで世話する担当の家族が、犬がもともと苦手で、咬むようになって怖かった。薬物療法を併用しましたが、唸れば嫌なことが終わると学習していたから、あまり変化なかったんです。突然うなり吠えだすと。きっかけはあったと思いますが、それを精査してお伝えすることができなかったということも力不足の一つです。もちろんフォローの回数が飼い主さんの都合で少なかったことや、往診で行わなかったことも原因の一つです。飼い主さんの生活上、行動修正プログラムを実施できる時間も限られている、メインで世話する家族は、出来る限り近づきたくないと。他の家族は留守がち。こうした事例には、預託訓練がベストだったのではないかと思っています。

問題は、正の罰を用いること以前に、「正の罰か、安楽殺か」というところまで飼い主さんを追い込んでしまった、支援者側の問題です。そして、問題行動を予防できなかった、ペット産業に携わるすべてのプレイヤーの問題でもあります。

問題行動への適切な支援の数が少なく、整っていない中で、正の罰は間違ってると言っても、飼い主さんを救える選択肢を示せてないのであれば、説得力に欠けるのは仕方ないことです。飼い主さんに対して、強度の攻撃行動の改善法として、より犬に対して人道的で、成果を伴う方法を示しきれてない、提供しきれていない支援者こそが問題だと思います。

正の罰を用いた行動修正を否定するためには、早く中村さんに引退してもらえるような、状況を作る、つまり、紹介した4つの課題を解決し、支援者の数を増やし、支援の精度を高めていくことが必要です。それが、最終的に中村さんの流儀を否定することになるのではないかと思います。