ヒトの認知症予防で研究が進んでいる領域に『腸内細菌叢と認知症の関係』があります。

 近年、腸と脳の関係について、『脳腸連関(gut-brain axis)』と言う概念が注目されています。腸には『腸神経系』と呼ばれる神経ネットワークが存在し、脳の指示を受けずに、消化運動や分泌など、腸で必要な機能を自律的に制御しています。このような自律的な制御を行うために、腸神経系には1億個もの神経細胞を持ち、脳に次いで神経細胞が集積しています。そのため、腸は『第二の脳』とも呼ばれます。

 第二の脳である腸と脳は、迷走神経と言う自律神経で密接に連携しています。自律神経には興奮状態の時に働く交感神経と、リラックスしている時に働く副交感神経があり、迷走神経は副交感神経に属します。

 動物が天敵に襲われて、興奮状態になると、動物は、逃げるか戦うかして、命を守る行動を取らざるを得ません。このような状態では、交感神経が優位に働き、副交感神経の働きを抑えます。逃げるために心拍数を上げ、筋肉に血液を送らなければならないわけですから、消化している場合ではないですね。腸管の動きを抑制することになります。

 逆に、リラックスしているときは、副交感神経が優位に働きます。食べたものを消化吸収するのもリラックスしているときです。腸管が活発に働き、消化を助けます。

 皆さんも経験したことがあると思いますが、緊張するとお腹が痛くなることがあります。これは緊張により交感神経が強く働き、消化管が動かなくなることがその原因の一つと考えられています。これは、脳の働きにより、腸が影響を受けている状態と言えます。その逆に、忙しくて食生活が乱れたことで、下痢や便秘になり、気分も落ち込んでしまい、集中力がなくなったと言う経験や、馴れないものを食べてお腹を怖し憂鬱になったと言う経験を持つ人も少なくないでしょう。これは、腸の状態が脳の状態に影響を与えている状態と言えます。

 腸内細菌叢は、腸の働きに強く影響を与え、脳腸連関を介して、脳にも影響することが分かっています。腸内細菌叢とはとは、腸の中にすみついている多種多様な細菌の集まりを指します。人の腸内には数百から千種類以上、100兆個を超える細菌が存在し、それぞれが複雑なバランスを保ちながら暮らしています。この腸内細菌叢は様々な機能を持っています。消化を助けて食物繊維を分解し、エネルギー源となる短鎖脂肪酸をつくる働きや、免疫のバランスを調整して感染症を防ぎ、悪玉菌の増殖を抑える役割も果たしています。さらに、脳腸連関を通じて、気分や認知機能など心の状態にも影響を及ぼすことが分かってきました。

 このような腸と脳の関係は古くから言われていましたが、近年では、その関係について研究が進んでおり、腸内細菌叢が暮らす腸内環境を整えることにより、脳の状態や機能に影響を与えることができることがわかってきました。

 ヒトのアルツハイマー型認知症を対象としたいくつかの研究では、認知症患者では、健康な対照群と比較して、腸内細菌叢の組成が変化していることが分かっています。これはアルツハイマー型認知症モデルマウスでも同じ結果が得られており、腸内細菌叢の変化は、認知症の発症に影響があると考えられています。

 腸内細菌叢の変化が認知症の発症に影響を与えるメカニズムとしてはいくつかの仮説があります。腸内細菌叢が変化することにより、免疫反応の変化が起こり、脳を様々な物質から守っている血液脳関門(blood-brain barrier; BBB)の透過性に変化が起き、脳にダメージを与える物質が入り込んでしまうと言う説や、先に説明した迷走神経を介して影響を与えていると言う説等があるものの、実際のメカニズムがはっきりとは分かっているわけではありません。

 とはいえ、腸内細菌叢に影響を与えることで、認知機能が改善すると言う研究結果は多数報告されています。その一つを紹介すると、軽度認知障害の患者を対象に、ビフィズス菌MCC1274を24週間摂取させ、摂取開始前、摂取8週・16週・24週後の時点で認知機能を評価したところ、経時的にスコアが上昇し、摂取16週・24週時点で有意な改善作用が認められました。マウスでの動物実験では、自然老化し認知障害と海馬シナプスの減少を生じたマウスの糞便を、若いマウスに移植したところ、若いマウスでも認知障害と海馬シナプスの減少が生じることが確認されています。老化したマウスの腸内細菌叢では、ビフィドバクテリウム・シュードロンガム (Bp)が減少しており、合わせて、トリプトファン代謝物であるインドール酢酸(IAA)も減少し、これが、海馬のシナプス新生に影響を与えている可能性が示唆されています。つまり、腸内細菌叢を適切な状態にすることで、認知機能を改善することが期待できるのです。

 では、腸内細菌叢を適切な状態に保つにはどうしたらいいのでしょうか?これはシンプルに、健康な食事、健康な生活習慣が大切です。特に、腸内細菌叢に影響を与える、プレバイオティクス・プロバイオティクスの摂取は重要です。プレバイオティクスとは、腸内でビフィズス菌などの善玉菌を増やし、腸内環境を健康に保つための「エサ」となる難消化性の食品成分のことです。オリゴ糖や食物繊維が代表的です。難消化性のため、胃など消化管上部で消化されず、腸内に届き、善玉菌に栄養を与えることができます。プロバイオティクスとは、生きた善玉菌そのもののことを指します。代表的なものに乳酸菌やビフィズス菌があります。十分な量を摂取することで、腸内環境のバランスを整える「整腸作用」や、免疫機能の改善など様々な健康効果が期待されます。

 犬を対象に、プレバイオティクス・プロバイオティクスを投与した研究では、下痢や潜血などの消化器症状の軽減、炎症関連指標の低下、アトピー性皮膚炎の症状の軽減などの効果が得られています。問題行動と腸内細菌叢の関係については、攻撃行動のある犬では、腸内細菌叢の組成が変化しており、攻撃行動を示さない犬と比較して明らかな違いが認められています。また、問題行動に対するプレバイオティクス・プロバイオティクスを投与では、尾追い行動のある犬に対してプレバイオティクスの「1-ケストース」を与えることで、尾追い行動が減少し、摂取終了後も改善効果が持続したという結果が得られています。このように、プレバイオティクス・プロバイオティクスの投与により、腸内細菌叢に影響を与えることは、様々な生体機能に影響があるのです。犬の認知症に対するプレバイオティクス・プロバイオティクスの効果については、直接的な研究は乏しく、データがあまりない状況ですが、今後研究が進むことで、その効果がわかってくるかもしれません。研究の発展に期待したいですね。