ヒトでも犬でも、加齢によって認知機能は低下していきます。そのため通常の老化と病的な変化との境界線は明確に引くことは出来ません。
犬では、加齢に伴う認知機能の低下、行動の変化として、活動レベルの変化、刺激に対する反応の変化、家族や同居動物との社会的関わりの変化(喜びの表現が少なくなったり、遊びが減ったりする)、睡眠覚醒サイクルの変化、学習した行動を忘れる、恐怖や不安の反応の増大などが見られます。これらの行動変化は、脳の加齢あるいは認知症により発生する場合だけでなく、目が見えにくくなる、耳が聞こえにくくなる、足腰が立たなくなる、痛みや不快感が生じるといった、身体的な問題を原因として発生する場合もあります。身体的な問題により、行動に制限を受けることは、それだけ脳に対する入力を減らすことにつながります。脳機能にしても身体機能にしても、使わなければ衰えていきます。これを廃用性萎縮と言います。人間でも寝たきりになることで、認知症も進行が早くなることがよく見られますが、犬でも同じように、寝たきりになれば、それだけ脳を使う機会が減り、廃用性萎縮により脳の機能が低下し、認知機能が低下していくと言うことが起こります。身体的問題と、脳機能の問題は不可分であり、明確な境界線を引くことは難しいのです。
正常の老化による脳の認知機能の低下と、認知症による脳機能の低下についても、はっきりと線引きすることが難しい場合は少なくありません。明確に疾患としての認知症が進行している場合は、急激に認知機能の低下が進むことが特徴です。正常の老化では、より緩やかに、認知機能の低下が進んでいきます。例えば、13歳の犬が、2カ月前まで年齢相応の行動をしていたのに、2カ月間で、身体的には何ら問題がないのに、急に昼夜逆転が起こり、徘徊や吠えが止まらなくなったと言うような状態であれば、急激な認知機能の低下が起こっていると言うことが推察できます。一方で、18歳の犬について、ここ半年間、足が立ちにくくなって、徐々に吠えて要求することが増えたと言うような状況では、確かに認知機能の低下はありそうだけど、正常な老化の範疇と言えるかもしれません。
脳の生理的・病理的変化についても、正常と異常の線引きが難しい面があります。ヒトでは、加齢に伴って大脳は委縮し、神経細胞脱落や、神経細胞同士の繋がり(シナプス)の減少が見られ、結果として、思考の緩慢化が起こります。アミロイドβやタウ蛋白の沈着が、脳神経の傷害の原因と考えられており、アルツハイマー型認知症の際に特徴的に見られる変化ですが、アミロイドβやタウ蛋白は通常の加齢によっても出現します。アルツハイマー型認知症とは出現の程度が違い、一定の範囲であれば正常、一定以上の大量もしくは広範囲の出現では病的とみなされます。つまり、程度の差、進行のスピードの差が、正常か異常かの線引きになるということです。正常な加齢であればこのような脳の変化は徐々に進行しますが、アルツハイマー型認知症では、これらの病理的変化がより早期に、かつ急速に進行するため、日常生活に支障をきたすことにつながります。変化そのものは同じでも、変化の速度が通常と異なるという違いがあるのです。
認知症の犬の脳では、脳全体で顕著な萎縮が見られることが知られています。また、ヒトと同様に、アミロイドβの沈着が認められるようになります。アミロイドβの沈着は、認知症の犬だけでなく、正常な加齢によっても形成されます。犬においては、アミロイドβの沈着の程度と認知症の症状の関連についてははっきりしたことは分かっていませんが、もしかしたら、人のアルツハイマー型認知症と同じように、アミロイドβやタウ蛋白の沈着のスピードが、認知機能低下と相関している可能性はあります。
ヒトでも犬でも、加齢により脳は衰え、変化していきます。正常の老化か、病的な変化かについては、線引きが難しいところです。とはいえ、認知機能の低下やそれに伴う生活の質の低下が見られる犬に対して、治療や何らかの処置を行っていくかどうかの判断については、『正常か病的か』という判断よりも、『その時点の飼い主さんと犬の生活の質のレベルがどうなっているのか?』『何らかのサポートを行うことで、人と犬のQOLが向上する可能性があるのか』ということの方が大切です。
正常な老化の範囲であっても、様々な条件により、飼い主さんと犬の生活の質が低くなってしまっていれば、それは、何らかの処置が必要となるでしょう。認知症になってもならなくても、最期まで、生き生きと過ごせるか?という部分に注目して、犬との生活を送ってあげられると良いと思います。