犬の認知症・痴呆|症例紹介

ウエルシュコーギー、雄(未去勢)、14歳5か月(初診時)、16kg(BCS:5.0)
飼い主の家族構成:父50代、母40代、姉20代(上京後不在)、妹10代後半
主訴:13歳から発生した家族に対する攻撃行動

初診時までの行動等の履歴

1歳の頃にブリーダーから迎えた。当初は元気すぎて引っ張りが強いという印象であった。身体を触っても嫌がることはなく、3歳くらいの頃に、足を踏んでしまった時に咬まれたとき以外は、咬まれることはなかった。家族に対し、Kから寄ってくることが多く、その際に家族がKを撫でていても唸られることはなかった。
ただし、フードを食べている時に、近くの物を拾う時に唸る行動があり、食べている最中にフードボウルを動かすことはできなかった。フードを食べ終わった後はフードボウルを引くことはできた。また、迎えた当初からケージに入れようとすると嫌がり、逃げる行動があり、咬むことはなかったもののケージに入れることはあきらめていた。
12歳11か月の頃に、一番なついていた姉が引っ越しのため家を出た。以後の世話は妹が中心となった。
13歳0か月の頃に、リンゴを丸ごと食べてしまい、その後、排便困難及び便秘を呈した際に、攻撃行動が発現した。当時、主に散歩に行っていた妹に対して、散歩に連れ出そうとするとリードや靴とかに咬みつく行動が見られた。また、いつもは降りられる階段を降りれなくなってしまい、母が抱っこして降ろそうとした際に、両腕を複数個所、犬歯が刺さる程、咬まれた。抱っこは、家に迎えた当初は問題なく行っていたものの、その後体重が増えて重くなってしまい、しばらくしていなかったとのことであった。かかりつけ動物病院を受診し、会陰ヘルニアと診断され、1週間で2回の摘便を行ったところ、便秘の症状は治まり、以後攻撃行動も発生しなくなった。
13歳2か月の頃に、父が単身赴任から帰ってきた。その時の印象としては、今まで通り、Kから父に寄ってくる状態だった。父に対して、ぴったり寄り添ってくる様子がよくあり、撫でていても唸る、嫌がる様子はなかった。
13歳3か月の頃に、父がKの散歩中に、Kと交錯する形で、足を踏んでしまったことがあり、その際に父の足の甲を咬んで、犬歯が刺さり出血した。
13歳5か月の頃に、父がKの散歩中に、Kが排便する際に、便が出たそばからすぐに拾おうとして、拾おうとした手を咬まれた。これ以前は、タモで直接便を拾うようにしており、この行動で咬まれること・唸られることはなかったとのことであった。この散歩中の排便時の攻撃行動以来、散歩中に便を取ろうとすると警戒し、拾うと唸ってくるようになった。そのため排便したらリードを伸ばし、Kの気がそれたところで、拾うようにしたとのことだった。散歩中の排便時の攻撃行動が始まる以前は、家の中で父に対してぴったり寄り添ってきて撫でても唸ることはなかったにもかかわらず、散歩中の排便時の攻撃行動発生以後は、父が撫でていると唸るようになった。また、父にぴったり寄り添うことがなくなり、距離を置いて座るようになった。
13歳6か月の頃、父は「Kは首筋を触ると喜ぶ」と認識していたため、首筋を触ることがしばしばあったが、父に対し、唸り、咬まれる攻撃行動が発生した。
13歳8か月の頃、それまでは妹が撫でていても攻撃することはなかったが、妹がなでていたところ、唸りだした。撫で続けてなだめようとしたところ、撫でていた手を咬まれ、内出血するくらい咬まれた。
13歳11か月の頃までは、家の中でお腹を上にして寝ていることが多かったものの、そうした姿勢で寝ることがなくなった。
14歳3か月の頃、暑い日が続き、なるべく早い時間遅い時間に散歩に行っていたものの、散歩中に立ち止まることが多くなってきた。同時期に、リードを着けようとすると唸り、咬みついてくるようになり、リードの付け替えができにくくなってきた。妹が散歩に行くために、リードを着けようとしたところ(毛量が多いため、リードの接続金具を見つけるために、手探りで探す必要があった)、出血する程度咬まれることが立て続けに3回あった。首輪の接続金具を取りやすくするために、首輪にもう一つ首輪をつけるという方法を実施したものの、延長した首輪を手で取ろうとすると咬もうとしてくる状態であった。そのため、足で首輪を取るようにしたところ、攻撃されない状態となった。しかし、1か月程で、足に対しても攻撃するようになった。
14歳4か月の頃からは、朝、寝ていることが多くなり、声をかけてもいびきをかいて起きてこないことが多くなった。
14歳5か月の頃(初診2週間前)に、妹が家の中で、床に落ちているペンを拾おうとした時に、唸って咬みついてきて、出血する程度咬まれた。その後、床に落ちているものを拾おうとする、床の近くにあるDVDプレーヤーを動かそうとすると、唸り、咬みつこうとしてくるような状態になった。この頃には、散歩に行くためにリードを着けようとしたときの攻撃が強くなり、リードを着けることをあきらめるようになった。散歩には行かずに、ノーリードで庭に出すようになった。
同時期にかかりつけ動物病院を受診に、右後肢の爬行が見られたため、レントゲン検査を行ったが、異常が見られなかった。NSAIDsを1週間処方されて服用したが変化はなかった。
初診1週間前、妹がこたつの机でご飯を食べていた時に、背後から腕を複数個所咬まれた。その後、同じこたつ机に座ろうとすると毎回唸る状況になった。こたつ机の上に何もないときには、攻撃行動は発生しないとのことであった。
初診数日前からは、こたつ机関係なく、かがむと唸るという状態になっており、さらに、目が合うと、吠えかかってくるようになった。攻撃行動が発生した際は、毎回ソファーの上に逃げるようにしていた。
初診前日、妹がこたつ机の上の物を取ろうとして、吠えながら咬みついてきたため、妹はよけて、ソファーに乗ったとのことであった。母が口頭で「ダメ!」と強く叱ったが、数分にわたり唸り続けたとのことであった。数週間前までは、母が口頭で叱ると、数十秒唸った後に、家族から離れる様子がみられていたとのことだった。
その他の気になる点として、ここ数ヶ月で体重が増加してきているとのことだった。

診察時の様子

診察時、安全のためエリザベスカラーを装着して受診いただいた。初診時は父と妹に受診いただいた。
診察中、父と妹に対して目が合うと唸り始め、咬みつこうとする様子が見られた。筆者に対しても目が合うと唸り、すね付近を咬みつこうとしてきたがエリザベスカラーを装着していたため咬まれることはなかった。唸っている時は恐怖や不安をあらわすボディランゲージは確認できず、攻撃心をあらわす表情であった。
一方で、時間がたつと診察室内で寝る様子が見られ、声をかけてもすぐには起きない状態であった。また、右後肢に体重をかけない様子が見られた。

犬の認知症・痴呆|診断

高齢犬の攻撃行動の類症鑑別として、身体疾患としては、脳腫瘍等の神経疾患、甲状腺機能低下症、肝性脳症、尿毒症性尿症、痛みを伴う疾患などが考えられる。
初診後、かかりつけ動物病院にて、甲状腺機能検査を含む血液検査を行ったが、異常は見られなかった。また爬行が見られた右後肢については、初診前にレントゲン検査を行ったが、異常が見られなかった。神経学的検査については実施困難であった。初診前にNSAIDsを1週間服用しているが、攻撃行動が改善することはなく、むしろ悪化している。
これらの結果から、甲状腺機能低下症、肝性脳症、尿毒症性尿症については除外した。脳腫瘍等の神経疾患については、MRI・CT検査が必要と考えられるが、全身麻酔のリスクや費用面から、飼い主の希望により検査は行っていない。痛みについては右後肢の爬行があり、痛みがある可能性が考えられたが、すでにNSAIDsを服用した経緯があり、これにより改善がみられていないことから、現在発生している攻撃行動は、痛みの関与は疑われるが、痛みだけで発生しているとは考えにくく、行動学的な対応が必要であると判断した。
初回の攻撃行動発生時、排便困難と便秘を呈し、これらが治癒した後に攻撃行動の発生がなくなったことから、初回の攻撃行動は、不快感と痛みを原因とする、疼痛性攻撃行動と考えられる。ただし、しばらく抱っこしていなかったという経緯があり、以後の経緯を含めて考えると、抱っこされることに不快感を抱き、抱っこから逃れようとして発生した自己主張性行動であった可能性も考えられる。
排便時に、便を拾おうとする、床に落ちているものを拾う、こたつ机の上に置いてあるものを拾う、かがむと言った状況で発生している攻撃行動は、はじめは排便時に不快な対応をされることに対して「快適に排便したいけど、背後に立たれたくない(不快な対応をされたくない)」という葛藤を生じて発生した葛藤性攻撃行動と考えられる。その後、排便時に便を拾うという刺激が葛藤を生じるきっかけとなり攻撃行動が繰り返された結果、これが般化して、床に落ちているものを拾う、こたつの上に置いてあるものを拾う、かがむといった状況でも同じように攻撃行動が発生するようになったと考えられる。
触られることに対して発生した攻撃行動については、上記の葛藤性攻撃行動の発生以後に生じており、同時に父と距離を取る行動がみられていることから、父に対して「嫌な事をされるかもしれない」という警戒心を抱くようになり、父に「触られたくない」あるいは「そのまま寝ていたいけど、触られたくない」という動機づけから発生した、自己主張性/葛藤性攻撃行動と考えられる。はじめは父に対して発生していたが、次第に家族全員に般化し、最終的に首輪をつける場面についても般化していった。
家族や他人に対して、目が合うと唸り咬みついてくる攻撃行動については、目と目が合うことに対して、心理的な緊張を感じ、「目を合わせたくない」「相手を撃退したい」という動機づけから発生している、自己主張性攻撃行動であると考えられる。
いずれの攻撃行動も、攻撃行動を繰り返すことで、家族を撃退できた(相手を怯ませることができた、触られなくなったなど)経験による、攻撃行動の負の強化の学習が起こり、攻撃の頻度が増加してきたと考えられる。
また、高齢になってから家族との関わり合いの変化が生じたこと、睡眠リズムの変化が生じてきていることなど、認知機能の低下が疑われた。はじめにで触れたように、認知機能の低下は易怒性を亢進させることがあり、攻撃行動の増悪因子であると考えらる。
以上より、認知機能の低下による易怒性の亢進を伴う、疼痛性/葛藤性/自己主張性攻撃行動と診断した。

治療方針

攻撃行動を発生させない安全確保と薬物療法を実施した。認知機能の低下が示唆されたこと、攻撃行動が強度であり行動修正を行う飼い主に危険が及ぶ可能性が高かったことから、積極的な行動修正法は実施しない方針とした。また体重が増加していたため、右後肢に負担をかけないために、食事制限を行った。

① 安全確保
初診前までは、リビングを中心として自由に行動しており、攻撃行動が発生しやすい環境であった。またリードを着ける際に攻撃行動が発生していた。安全確保のために、行動範囲を制限すると同時に、リードの付け替えをしなくてよい状況とするために、以下のような指導を行った。
・ 撫でない
・ リードを着けっぱなしにする
・ リードフックを装着して、行動範囲を制限する
・ 段ボールなどで境界線を作り、生活空間を分ける

②薬物療法
当初は、抑肝散(ツムラ)を1.25g(1/2包)/head BIDで開始することとし、治療経過をみて、必要に応じて、抗うつ薬等の使用を検討することとした。

③食事制限
BCS5.0と肥満であり、フードをしばしば残していたことから、食事制限を行い、これまでの80%程度の給与量とするよう指導した。

犬の認知症・痴呆|治療経過

治療開始22日目
リビングの隅にリードフックを着け、ソファーと壁の間に生活場所を設定し。ソファーの上からリードを取るようにしたところリードを取ろうとすると唸るものの、咬まれることはなくなった。
散歩はリードを短く持って行けるようになった。クゥの行きたい進行方向を邪魔せず、前を歩かせていれば唸ることがないが、クゥが振り向いた時に、目が合うと飛びついてくる咬みつこうとしてくる。短く持つことで、咬まれないようにしている。飛びついてくる行動をリードで止めようとしてもなかなか止まらず、吠え続けるとのことで、時々クゥが自分の舌を咬んで、出血してしまうことがあるとのことだった。
散歩中、排便する時に落ち着きがなく、あたりをきょろきょろ見渡す様子があり、なかなか排便しない状態になっている。庭では排便する。庭でも目が合うと吠えて咬みつきに来る。主に靴を咬まれており、靴はボロボロになっているとのことだった。
フードの給与量を減らしたこともあり、食欲はあり残すことはなくなった。
朝は起きないことが多く、昼も夕方は良く寝ている。夜は吠えてはいないが、クゥ一人で起きて動いている物音が聞こえてくることが多くなったように感じるとのことであった。全体的な睡眠時間は増えているとのことだった。
触らないこと、リードフック、居場所の工夫によって、咬まれる頻度は減ったが、散歩や庭に出した際に目が合うと飛びついて咬みついてくる行動があり、依然危険な状況であった。安全確保による効果は表れていたが、あくまでも攻撃行動を発生させる状況を回避しているということであり、反応そのものの変化はみられていない状況であった。こうした状況から、抑肝散の効果は十分でないないと判断、中止し、抗うつ薬であるフルオキセチン(1.3㎎/kg SID)と抗不安薬であるジアゼパム(6.7㎎/kg BID)にて開始した。
また、排便に関する警戒心が高まっていると考えられた。そこで、無理に散歩はさせず、庭に係留しておき、家族がその場から離れて、安心して排便できる状況を作ることとした。

治療開始29日目
目が合うことがあっても唸ることがなくなった。また、ジアゼパムの副作用とみられるふらつきが見られるようになった。庭に出ても、座り込む様子が多くなった。ジアゼパムを3.3mg/kg BIDに変更した。

治療開始35日目
攻撃行動の発生はなく、妹が背中を撫でても唸らなくなった。一方父が撫でようとしたところ唸った。ジアゼパムの減量の後はふらつきもなくなった。ジアゼパムを3.3mg/kg SID(攻撃行動発生リスクの高い庭での排泄前に投与)に変更した。

治療開始70日目
生活上の問題は特になくなった。日中は寝ていることがほとんどで、夜間、一人で動いている気配を感じるとのことであった。ブラッシングをしても唸ることはなく、必要最低限のケアのみ行うようにしている。リードフックの付け外しの際も唸ることはなくなった。ジアゼパムを中止し、フルオキセチン1.3㎎/kg SIDのみとした。

治療開始95日目
ジアゼパム中止後も、攻撃行動の発生はない。