高齢犬にとって、定期的な運動を行うこと、ヒトや他の犬との社会的な交流を持つこと、新しいおもちゃに関心を寄せることなど、社会的刺激の増加は、認知機能の低下を予防することに有効です。
人の認知機能の低下に影響する要因については多数の研究が行われていますが、総じて、精神刺激が多い生活を送っている人の方が、認知機能低下のリスクが低いという相関関係があることが示されています。
犬においても、精神的刺激をいかに増やしていくかを考えることが、認知機能低下を和らげる戦略として有用であると言えます。オスワリ・フセ・マテ・オイデといった基本的なトレーニングを日常的に取り入れることは大切です。最近ではしつけ教室などで、ノーズワークやバランスボールといったアクティビティを体験できるクラスも増えてきています。犬の幼稚園を活用し、若い犬との交流の機会を持つこともよいでしょう。自宅の中でできることとしては、頭を使ってフードを取り出す知育トイや、おやつ探しゲームなどもよいでしょう。
高齢犬になると寝てばっかりになりがちですが、できる限り日常的に刺激を与えて、脳を活性化させることが認知機能低下の予防には必要です。
定期的な運動
人でも犬でも、定期的な運動は、心身の健康の維持に有用です。人では骨折などをきっかけとして、歩くことができなくなることがきっかけで、身体だけでなく、認知機能が低下してしまうということはよく起こります。高齢者が安静を必要とする状態になると、廃用性萎縮は起こり、使わない器官は衰えていってしまいます。具体的には、筋肉が萎縮したり、関節が動きにくくなったり、心機能が低下したり、うつ症状が現れたりします。身体機能が低下すれば、身体から脳に入る刺激が少なくなるだけでなく、生活の張りがなくなり、認知症の進行を早める結果となります。これは犬でも同じです。すべての高齢犬は、その犬の身体的な状態に合わせ、可能な範囲で、できる限り運動を行うことが推奨されます。
運動の認知症に対する効果は、動物実験でも証明されています。マウスを使った実験では、身体的な活動を行ったマウスの方が、脳におけるβアミロイドの沈着が少なく、身体活動量とβアミロイドの沈着量には逆相関があることが示されています。
定期的な運動としてはやはり散歩は一番ですね。早く歩く必要はありません。ゆっくりでいいので、じっくり外の世界を探索させてあげてください。脳に刺激を入れることが大切ですので、臭いを嗅ぐ時間をたっぷりとってあげたいですね。1日2回コンスタントに散歩に行けるようにしてあげるとメリハリのついた生活ができるでしょう。
ヒトとの交流
脳に刺激を与え、機能を維持するにあたり、人との交流の頻度は大きな要素です。飼い主との関りを充実させることは、犬の認知機能を維持することにつながりますし、あまり会わない人や知らない人との交流の機会はより強い刺激になります。
高齢になり、活動意欲が減ってくると、どうしてもお出かけをしたり、非日常的なイベントに参加したりということが減ってしまいます。身体の不調があるとなおさらですよね。しかし、そうなってしまうと加速度的に認知機能の低下が進んでしまします。
飼い主がなるべく工夫して、過度の負担にならない非日常のアクティビティを用意してあげるとよいでしょう。例えばそれは、トレーニング教室に行くことかもしれないし、週末にあまり行ったことのない公園まで出かけることかもしれません。ドッグランにいくことが好きな犬はそうした機会もよいでしょう。そのような機会に、飼い主とよくふれあい、関わり合い、そして、知らない人にも関わるという形で、たくさんの刺激を脳に送り込むことは、認知機能の維持に良い影響を与えます。
基本的なトレーニング
基礎的なトレーニングを続けることは、飼い主との充実した関わり合いの一つです。基礎的なトレーニングは、子犬の頃には積極的に取り組まれますが、オスワリ、フセ、マテなど基本的な項目ができるようになると、飼い主が「基礎項目を覚えたこと」に満足してしまって、繰り返し練習を行わなくなる傾向があります。
しかし、トレーニングとは、日常で使ってこそ意味のあるものです。オスワリ、フセ、マテ、ハウスなどの言葉を教えて、その通り犬が行動できるようになることは、「言葉を覚えた」という段階です。
「言葉を使ってコミュニケーションを取りたい」からこそ覚えたにも関わらず、「覚えたことに満足して使わなくなってしまう」のであれば、覚えた意味はありません。
既に覚えた項目について、日常的に声掛けして、犬がその通りに行動して、それを褒めるということは「私はあなたのことを見ているよ、あなたとコミュニケーションがとりたいよ」という意思を伝えることになります。
一日のルーティンの中に、飼い主と愛犬の日常的なコミュニケーションとして、基礎的なトレーニングの機会を設けることは、飼い主と愛犬の絆を強めると共に、脳を刺激し、認知機能低下を防ぐ一助になります。
知育トイの活用
手軽にできる、脳の活性化と言えば知育トイですね。知育トイとは、フードを中に入れたり、隠したりして遊ぶおもちゃです。パズルトイと言ったりもしますね。
犬にはお皿からご飯を与えるのが当たり前と思われがちですが、お皿から与えるのは間違いです。お皿から与えてしまうと、すぐに食べ終わってしまいます。その分、犬は暇になりますよね。
知育トイを使うのは何も犬だけではありません。よく使われているのは動物園です。動物園の動物は、行動範囲が限られ、野生下に比べ日常的な活動量が少なくなり、精神的刺激も乏しくなります。こうした状態が続くと、左右に動き続ける、柵をかじり続ける、舌を回し続けるといった無目的な行動を繰り返すようになってしまいます。このような行動を常同行動と言います。動物園では、常同行動の発現を抑え、正常な行動レパートリーを増加させるために、知育トイ(パズルフィーダー)を使ったり、飼育環境内に餌を隠して与えるなどの工夫が積極的に行われています。このような動物の正常な行動を引き出し、生活の質を高めようとする積極的な工夫のことを環境エンリッチメントと言い、知育トイで給餌時間を増加させる手法は、環境エンリッチメントの中心を占めています。
犬も精神的刺激が乏しい環境では、常同行動が発生します。暇でやることがなくて、手を舐め続けるとか、おしりを吸い続けるとか、尻尾を噛み続けるといった状態が見られることがあります。このような状態は犬の生活の質は低いと言わざるを得ません。当然、精神的刺激の少ない生活は、認知機能低下のリスクとなります。犬に対しても、環境エンリッチメントとして、知育トイを使い、給餌時間を延長し、暇な時間を減らし、活動量を増加させることで、精神的・肉体的刺激を増加させ、生活の質を高めることができます。
知育トイは犬に「ゴハンを取り出すにはどうしたらよいか?」を考えさせることができます。考えるということは、認知機能を使うことです。それは、良い精神的刺激になります。一方で何度もクリアして出し方がわかってしまった知育トイでは、犬はゴハンの取り出し方はすでにわかっており、考える必要がありませんので、精神的刺激という意味では新しい知育トイには劣ります。そのため、1つの知育トイばかりを使うのではなく、複数の知育トイを使いまわしてもらう方が良いですし、ときどき新しい知育トイを導入して飽きさせないようにすることが大切です。
高齢犬で認知機能が低下していたり、意欲が低下している犬では、知育トイを見せても頑張って取り出そうとしないことがあります。そうした場合には、無理に知育トイを使わずに、お皿から、あるいは、飼い主さんの手からゴハンを食べさせてあげてくださいね。
ノーズワーク
ノーズワークは、プロの探知犬が行うタスクを模倣する形で生まれた、犬の嗅覚を使ったアメリカ発祥のアクティビティです。当初アメリカでは、保護犬の生活の質を向上させるためのアクティビティとして開発されました。その後、欧米各国に広まったノーズワークは、保護犬に限らず、一般の家庭犬が飼い主と共に楽しむドッグスポーツとしての要素が加えられ、日本にも広まりました。
多くの荷物の中から麻薬の臭いを嗅ぎ分ける、がれきの中から人の臭いを見つけるといった、探知犬・災害救助犬が行っているスキルは非常に高いものがありますが、嗅覚を使って課題を解決するという能力は、一般の家庭犬にも秘められています。そもそも嗅覚は、犬にとって非常に重要な感覚器であり、嗅覚刺激は脳に膨大は情報をもたらします。にも関わらず、犬は人と暮らすことによって嗅覚を使う機会を奪われてしまったとさえ言えます。
ノーズワークでは、犬は、ある空間に隠された臭いを探し、臭いを見つけると飼い主に「見つけたよ」という合図を返します。その合図に飼い主は反応し、褒めたり、報酬としておやつを与えたりします。本来犬が持っているすぐれた嗅覚を使う機会を提供し、嗅覚を使って課題を解決することができ、それが飼い主とのコミュニケーションにもなるということは、犬の生活の質を大いに高めてくれます。ノーズワークによる脳への刺激は、脳の活性化に繋がります。
ノーズワークに関連して、複数の研究で、おやつ探しの課題のスコアは、認知機能が低下する程低下することが確認されています。おやつ探しの課題を行うことで、感覚機能と認知機能を活用することは、その機能についての廃用性症候群を防ぎ、機能を維持することに繋がると考えられます。
バランスボール(バランスディスク)
老犬にとって、あまり使う機会がなくなってしまう感覚器として平衡感覚や、体性感覚が挙げられます。平衡感覚とは、身体全体や頭の運動(前に進んでいる、急に止まる、回転している等)を感じ取る感覚です。体性感覚とは、触覚・温度感覚・痛覚の皮膚感覚と、筋や腱、関節などへの圧力を感知する深部感覚から構成されます。深部感覚のことを、自己受容感覚と呼ぶ事もあります。
若犬のころに、高いところに登ったり、側溝の蓋を飛びこえたり、他の犬と取っ組み合いをしたり、全身を使って様々な行動をとる際に、平衡感覚や体性感覚は強く刺激されます。しかし、老犬になり、寝ていることが多くなると、これらの感覚を使うことが少なくなります。感覚器を使わなくなれば、当然それだけ機能は衰えますし、脳に対する入力もなくなるため、脳機能も衰えてしまいます。
平衡感覚や体性感覚の衰えを予防し、さらにバランスのとれた筋力を維持する上で、バランスボール(バランスディスク)によるトレーニングはうってつけです。犬のバランスボールは、人間のバランスボールのような球体の形ではなく、平たい円盤型のバランスディスクを使います。中には、球体のバランスボールを使える子もいますが、なかなか難しいので、バランスディスクが一般的です。
犬は、バランスディスクの上に乗る・降りるという動作を行ったり、姿勢を維持します。この時に、平衡感覚や体性感覚を活用します。さらに、姿勢の維持には筋力を使います。不安定なバランスディスクの上での姿勢維持は、普段使わない筋肉に刺激を与えることができ、バランスのとれた筋力の維持に役立ちます。
他の犬との関り(犬の幼稚園、同居犬を迎える)
犬同士の関わり合いも重要な精神的刺激です。犬同士の関りは、飼い主や人との関りではカバーできない脳領域に対して刺激を与えることができます。犬の幼稚園は、子犬や若い犬だけでなく、高齢犬にも利用してもらいたい施設です。幼稚園という名称よりはデイケアと言った方が高齢犬にはしっくりくるかもしれません。特に犬同士の関りが得意な子であれば、積極的に他の犬とかかわるようにするとよいでしょう。一方で犬が苦手な子の場合や、周りの犬が若くてパワフル過ぎる場合、過度なストレスになってしまうことがあるため注意が必要です。その子その子の活動レベルに合わせた適度な刺激となるように調節が必要です。
他の犬との関りとして、同居犬を迎えるということも選択肢です。高齢犬に遊び相手ができることで、精神的刺激が増し、活力が高まるということはよくあることです。しかし、犬の幼稚園同様、迎えた相手がパワフル過ぎて、相手をするのに疲れすぎてしまう場合や、もともと犬が苦手なのに同居犬を迎えた場合は、過度なストレスとなります。
新たに犬を迎える場合には、相性を見ることが大切ですが、先住犬が高齢犬である場合、ある程度の配慮が必要です。高齢犬の同居犬選びでは、子犬よりも成犬を迎えた方が良い面が多くあります。まず、子犬よりも少し落ち着いた成犬を迎えた方が、パワーバランスがとりやすい場合が多いでしょう。成犬であればある程度性格が固定されていますから、相性を見る上で好都合です。子犬を迎える場合、トライアルを行うことができませんが、成犬であればトライアル期間を設定することができますので、その間に相性を見極めることができます。
犬の幼稚園や、同居犬を迎えることで、精神的刺激を増やし、活力のある生活を送らせてあげたいですね。